世界の公共放送の現状、韓国、イギリス、ドイツの場合
No. 40 11/5/09、隅井孝雄
これは「法と民主主義」2009年11月号(日本民主主義法律協会)の特集「放送の公共性とは何か、NHKと情報法制の課題」の一つとして掲載された
メディア再編に揺れる韓国
2009年9月初旬、私はメディア研究者による日韓シンポジウムに出席するためソウルに滞在していた。そのソウルはメディア法の改正で大揺れだった。
韓国国会でメディア法改正案が議決されたのは7月22日。与野党激突の大乱闘が繰り広げられた。野党の民主党は議決が無効であるとして最高裁判所に効力停止の仮処分を申請した。
今回の改正の対象は「新聞法」、「放送法」、「マルチメディア法」(IPTV法)などメディア関連三法である。その骨子は新聞とニュース通信社の兼営禁止条項を廃止する、これまで禁止されていた新聞社および大手企業の資本参加を認める、というものである。資本参加の場合の上限は地上波10%、ケーブル、30%、インターネット49%としている。
かつて1980年軍事独裁政権のもとでのメディアの統合で民放の東亜放送、東洋放送が廃局、それ以来KBS(韓国放送公社)とMBC二局となった。その後1991年に民放としてSBS(ソウル)など12の地域放送が生れた。MBS(文化放送)は広告を財源とする株式会社だが、その株式の70%は放送文化振興会(政府の外郭公社)が所有している。1990年EBS(教育放送公社)がKBSから分離した。事実上公共放送システムを中心とする寡占化体制が続いているといえよう。
メディアコンテンツの多様化目指すイミョンパク政権
イミョンパク政権は「2012年の完全デジタル化に備えるため、地上波、ケーブル、インターネットの規正を緩和する」としている。それによって「新聞、放送など韓国メディアのグローバルな競争力を高め、メディアコンテンツの多様化を促進する」のだという。またこうした改革で「メディアが活性化し、多様化すれば、若者に人気のあるメディア産業の雇用も増える」という。
放送事情にくわしいジャーナリスト、アンミョンヒさんは「大企業は地上波に出る機会を窺がっている。しかし韓国ではインターネット、ケーブル、衛星、衛星モバイルで多様なサービスがあり、テレビ局を増やす意味はあまりない」と疑問を呈する。
こうした状況に対して市民の側に強い反発がおきた。インターネット上には政府与党批判の書き込みがあふれ、韓国言論労組や民主言論運動市民連合などが、MBSなどの放送局やの支援を受けて大規模な抗議集会を開き、またKBSのプロデューサー、アナウンサーも一部参加するストライキも行なわれた。
市民側の動向にくわしい尚志大学のキムキョンハン教授は「この動きに対して野党、言論労組を中心に地域メディア発展法を準備している」と語る。市民に身近な地域放送の新しい制度を創設することで対抗しようとする長期戦略が検討されているのだ。
「メディアビッグバン」を歓迎する韓国新聞業界
韓国ではメディアの中で新聞の信頼度、接触率低下が著しいが、テレビの信頼度、接触率は極め高い。韓国言論財団の報道信頼度調査によると新聞の信頼度は1998年にテレビに追い抜かれて以来激減し、2008年には新聞16.0%、テレビ60.7%と大きく差が開いた。インターネットも新聞を追い抜き20%に達している。
韓国メディア信頼度 2008 韓国言論財団
1998 2000 2002 2004 2006 2008
新聞 40.8 24.3 19.9 16.1 16.5 16.0
テレビ 49.3 61.9 48.4 62.2 66.6 60.7
ラジオ 7.3 2.5 4.3 4.4 1.4 2.7
雑誌 1.8 0.4 0.8 0.3 0.8 0.4
ネット # 10.8 8.5 16.3 12.8 20.0
新聞産業は今回のメディア法改正を「メディアビッグバン時代が来た」として、大いに歓迎している。「新聞と放送兼営、複数のケーブル総合チャンネルなどの許容でデジタル時代に向けてメディア産業構造を変化させるきっかけが出来た。現在の様な地上波の放送市場独占は維持できないだろう。新しいメディア技術の発展にあわせるという点で、今度のメディア関連法改定の意義を見出すことが出来ると思う」と韓国言論学界キムヨンギ会長(漢陽大学教授)はいう(2009.9.14中央日報電子版)。新聞業界と政府の目指す‘未来戦略’が極めて端的に読み取れる発言である。
東亜日報、朝鮮日報、中央日報の三大紙にとってはまさに起死回生の法改正だが、どのような形で参入するかはまだ見えていない。
巨大な影響力持つKBS
KBS韓国放送公社の本社を訪ねた。国会議事堂のすぐ近くにある堂々とした社屋は文字通り韓国を代表する風格を備えている。
現政権はKBSを出来るだけ政権に近い存在に変えたいと願っている、と韓国の市民は見ている。就任直後、昨年五月、イ政権はアメリカ牛肉輸入解禁問題で大規模な「キャンドルデモ」にさらされた。KBS、MBCなどの報道が大きな影響を与えた。またノムヒョン前大統領の検察捜査と自殺に関してテレビは政権に批判的な報道を繰り返した。
狂牛病を伝えた番組にねつ造があったとしてMBCの「PD手帳」の制作スタッフが逮捕、起訴されたが、市民は政権がテレビの”体質を変える”ために打った手だと見ている。
一方これまでノムヒョン時代の五年間社長だったチョンヨンジュ社長が汚職容疑で解任され、逮捕された。チョンヨンジュン元社長は韓国民主化の先頭に立ったと言われるハンギョレ新聞の論説主幹だった。新しく選ばれたイビョンスン社長は報道局スタッフを全員入れ替えた。
KBSの広告は削減、受信料は値上げに
今回のメディア法改正によって広告を財源とする新しいテレビメディアの登場が期待されている。そのためKBS2の広告放送枠を制限し、その見返りとして、KBSの受信料を二倍に引き上げることが検討されている。韓国の受信料は電力公社が徴収しているため、事実上不払いはない。現在KBSの決算審議だけが国会に送られている、与党ハンナラ党は受信料値上げの引換に予算も国会の審議対象にしたい意向だ。
KBS(韓国放送公社)は日本統治下の1927年放送を開始した京城放送局が前身。戦後国営放送として米軍管理、朝鮮戦争などの苦難を乗り越え、1973年に韓国放送公社となった。
第一テレビ、第二テレビ、U-KBS(UHF) のほか、ケーブルと衛星では子会社がドラマ、スポーツ、バラエティー、文化の4系統を持つ。ラジオはAM3波、FM2波、国際ラジオ4波、国際テレビ(KBSワールド)という大規模放送局である。教育放送公社EBSも財源は受信料だが、KBS2では広告放送が大幅に認められている。
職員数5900人、KBC(韓国放送委員会)が監督機関だが、ハード面では情報通信省、ソフト面では文化観光省が政策的関与を行なっている。
イラク戦争で存在感高めたイギリスBBC
BBCの報道がイギリス国民の信頼を受けていることは議論の余地がないと私は思う。それは長い年月のたゆまざる積み重ねによるものであることは言うまでもない。
BBCがイギリス国内でも海外でも、その客観性、公正さが際立って認識されたのは2003年のイラク戦争においてであった。従軍記者としてイラク戦争の生レポートに登場したクライブ・マイリー記者は、銃弾が飛び交う中のレポートで、イギリス軍の兵士から頼まれて照明弾を手渡したと反省をこめて語った。ともすれば報道者の立場を失いがちな従軍報道の危険性を視聴者に伝えるそのレポートは今も私の脳裡を離れない。 戦場報道のベテランとして国際的に知られるジョン。シンプソン記者は独立したユニ取材の記者として、クルーと共にイラクの戦場に赴いた。それには大きな代償があった。取材中アメリカ軍戦闘機の誤爆を受け、同行のクルド人スタッフが死亡、カメラマンも傷を負い、レンズには血がべったり付いた。彼はあくまでも戦争の恐怖を伝えたいのだと動じることもなく、その場からレポートした。
イラク軍の捕虜になったアメリカの女性兵士ジェシカ・リンチをアメリカの特殊部隊が救出するという劇的なニュースが報道され、アメリカ中に歓声があがったことがあった。BBCはその「美談」に疑問を抱き、拘留されていた病院を取材した。そしてイラク兵が撤収して存在していなかったこと、イラク人医師たちが負傷していた兵士を手厚く看護したこと、米軍が映画さながら派手に救出を演出したことを明かにした。後にそのジェシカ・リンチ自身がすすんでテレビインタービューに答え、BBCの報道は立証された。
イラク戦争にあたってBBCは詳細なガイドラインを作成している。わが軍と呼ぶのではなく、イギリス軍と呼ぶ、直接見たことでなければ、そのことを明らかにした上で伝える、政府や軍の情報はその信頼性を検証する、などが定められている。自らの国が参加する戦争で世界のさまざまな国の人々に信頼される客観性を保つという困難に挑んだのだ。
問われたBBC受信料値上げの是非
今年6月、保守党デーヴィッド・キャメロン党首が提案していた受信料凍結の法案が否決された。景気後退で民放が苦しんでいるのにBBCだけが値上げするのは筋が通らないというのが保守党の言い分だった。結局BBCの受信料は2%、3ポンド(372円)値上げされ、年142.50ポンド、月11.88ポンド(年22000円、月1830円)となった。
問題は、商業放送の広告収入が激減していることから始まった。イギリス最大の民放テレビITVは1600人解雇、広告収入はラジオで20%、新聞で33%減った。BBCは今回の増収分を主としてデジタル化の推進、高齢世帯、貧困世帯のデジタル転換援助に当てるとしているが、商業局のローカルニュース支援にも増収分が支出される計画も明かになった。
しかしBBCについて、依然として一部保守派からの攻撃が続いている。2009年8月、エジンバラで開かれた世界テレビ番組フェスティバルでスピーチに立った英SKY TVの社長ジェームス・マードック(ルーパート・マードックの次男)はBBCとその監督機関である「Ofcom」(Office of Communications 放送通信庁)を激しく批判した。アメリカのように市場原理にまかすべきだという論旨である。一部マードック系の新聞にBBC批判を見受ける。保守党への政権移行が予想されている中、何らかの形での公共放送制度改革は今後日程に上る可能性がある。
こうした動きに対してBBCは最近の世論調査を引き合いに出し、「受信者の5人に4人はBBCを誇りに思うと答えている」(マーク・トンプソン会長)と反論している。
イギリスのデジタル転換は成功例
イギリスのデジタル化は世界でも最も成功していると言われる。BBCのデジタル放送は1998年に始まった。そして2002年BBCを主体にしたデジタルプラーットフォーム、「Free View」 を立ち上げた。加入者は現在980万件、この他衛星、ケーブルのデジタル加入が1200万件あり、デジタル普及はテレビ世帯の89.2%に達した。2012年には全面移行する。
「Free View」 のアダプターは20ポンド(2800円)、基本サービスは無料というシステムである。現在の地上波テレビを含むチ51ャンネル、ラジオ24チャンネルが視聴できる。
デジタル普及の先頭にたっているBBCはインターネットへの参入も積極的だ。マーク・トムソン会長は「インターネットを通じた番組配信は戦略の中心だ」と明言している。
新しい展開の一つにインターネット上での番組配信iPlayerがある。2007年から開始、300近い番組を無料で視聴できる。視聴者はジワリと増え、テレビを持つことのなかった大学生など若者の間に広がっているのが特徴だ。放送後一週間は見逃がした作品、ニュースを見ることが出来るのだが、こうした視聴者をどのようにして「受信料を払う契約者」にして行くかという課題があるようだ。
オンラインコンテンツの覇者目指すBBC
若者を取り込むという戦略目標の中で、オンライン視聴者向けにゲームとサスペンスドラマを融合せる作品、双方向機能を駆使して視聴者のリアクションに応じてストーリを変化させるドラマなどの試みも成功している。これまでの番組制作のノウハウを、デジタル技術と融合させることに極めて積極的だ。そのためにBBCはIT業界、ゲーム業界の才能ある人材を次々にヘッドハントしている。デジタル技術戦略部長のエリック・ハガーズは「20年後にBBCの社名から放送という言葉が消えるかも知れない」と予測する。彼はマイクロソフトからBBCにやって来た。
BBCの今後についてマーク・トムソン会長は「視聴者が特別だとおもう作品(コンテンツ)のために資金とエネルギーを集中する」と発言、放送、映像のコンテンツ面での世界の覇者を目指すことを隠そうとはしない。
イギリスはBBCイコール公共放送という考えかたから一歩抜け出して、公共概念を拡大している様にも見受けられる。2009年6月に発表された「デジタル完了後のイギリス」という白書では、民放であるITVのローカルニュースを公共サービスと捉え、BBCの受信料の一部を割り当てた。BBC自身もITVローカルニュースの素材などを積極的に提供する。今後ローカルニュースの取材、制作の公共性を確保する為の新しい機構も検討されているという。それには地方新聞の取材、編集、発刊も包含される見込みで、白書は「独立ニュースコンソーシアム財団」の設立を構想している。
ベルリン放送の数奇な運命
5年程前に訪問したベルリンの公共放送局RBB(ベルリンブランデンブルグ放送)は78年にわたるドイツの放送の歴史を体現していた。
本館兼ラジオスタジオは1931年ヒットラーが威信をかけて建設したドイツ様式のどっしりしたビルそのものである。黒光りした煉瓦が78年前の威容を残している。そしてテレビスタジオになっている高層新館の壁面には今でもSFB(自由ベルリン放送)のロゴがそのまま残っている。
ナチスが崩壊したとき、怒涛のように進軍してきたソビエト軍が兵舎として接収した。そのあとこの地区がフランス軍の管轄になり、自由ベルリン放送として再生した。冷戦中この局のラジオ、テレビはベルリンの東側に呼びかける放送をしきりに行なった。このスタジオから放送されたコントラステという報道番組はひそかに取材スタッフを東に送り、さまざまな報道番組を壁の向こうに放送、東側に多くの視聴者を持っていた。ベルリンの壁崩壊の直前には、東ベルリンの市民のデモ、秘密警察の抑圧を撮影した取材フィルムが壁を越えてコントラステに届けられ、そのテレビ映像は壁の崩壊を早めることになった。
そして統一後、東側だったブランデンブルグ州をエリアに包含してRBBとなったのである。
州域公共放送が基幹放送
ドイツの公共放送はARD(ドイツ公共放送協同体)とZDF(ドイツ第二テレビ)が並列している。ARDは州単位の放送局の集合体でありドイツの基幹放送である。ZDFは1961年、アデナウワー政権の元で国営全国放送として計画されたが、憲法裁判所の判断で公共放送としてスタートすることになったといういきさつがある。公共放送として補完的役割が期待されたと見ていいだろう。
ARDには役員とか会長はいない。番組制作機能もない。9つの州放送協会の代表の合議制で、全国放送する第一テレビの番組は州放送協会の代表者会議に各局から企画が持ち込まれて決められる。もうひとつのチャンネル第三テレビはそれぞれの州局の独自編成という徹底した地方分権なのだ。国会議事堂に隣接した首都スタジオはARDが管理、運営しているが、ここからはそれぞれの州放送協会の記者たちが政治レポート、議会レポートをするために入れ替わり立替わりやって来る。いわば国会記者クラブスタジオと言った趣むきだ。
多元的民主主義目指すドイツの公共放送
私がインタビューしたRBBのヴォルカー・シュレック広報局長(当時)は「ARDの歴史を語るには1945年にさかのぼる必要がある」と前置きして、次のように語った。
「戦争が終わって国営ドイツ放送局は解体された。戦争中ナチスのプロパガンダの道具だった放送を、国家から独立した放送にするために地方分権による多元的民主主義を機構の上でも、番組の上でも追及することになった」。
州放送協会の行政上の監督は州毎に選出される放送評議会にゆだねられている。RBBの場合、30名の委員によって構成される。委員の肩書を調べたがそれを列挙すれば、多元的民主主義の実態がよくわかる。
プロテスタント教会、カトリック教会、在留外国人協会、ユダヤ人協会、ソルベ人協会、経営者連盟、商工会議所、手工業組合、公務員組合、労働組合、農民組合、サービス業労働組合、PTA協会、スポーツ振興協会、女性会議、青少年の会、大学学長会、映画協会、音楽評議会、芸術アカデミー、ジャーナリスト協会、自然保護協会、ベルリン州各政党代表、ブランデンブルグ州各政党代表などなどである。
選出母体に委員決定にゆだねられ州政府は関与していない、ということだった。政党の発言権は3分の1にすぎない。
地方分権と多元性は日本でも取り入れる必要があると私は強く感じた。
参考文献
メディアビッグバン時代、未来戦略とは何か 中央日報電子版 2009.9.5
国会大乱闘の韓国、メディア法可決、これで何が起きるのか チョウチャンウン趙章恩(JIBC会長、IT評論家) IT日経 2009.7.30
メディア法改正で新聞とテレビが対立 アンヨンヒ Galac 2009年5月号
韓国放送界の現状 放送文化と放送制度 月刊民放2005年12月号、アンチャンヒョン(KBS文化研究所研究員)
世界の放送2009 NHK放送文化研究所
聞き取りインタビュー キムヨンハン(尚志大学教授) 2009.9.11
聞き取りインタビュー アンミョンヒ(ジャーナリスト) 2009.9.12
聞き取りインタビュー イジンロ(霊山大学教授) 2009.9.12
BBC支配に終止符を、ジェームス・マードックが主張 ファイナンシャルタイムス 2009年8月29日
BBCは受信料凍結を受け容れるべきだ デイリー・テレグラフ 2009年3月16日
マードックジュニア、BBC滅多斬り 小林恭子 Galac 2009年11月号
新動画時代、テレビは変る、英公共放送の挑戦 NHK 2008年3月20日
受信料はBBC以外に配分されるのか、英公共放送サービスの将来像論議の行方 放送研究と調査 2009年10月号
イラク戦争とジャーナリズム NHKBS1 2003年9月30日
イラク報道の真実、BBC vs. イギリス政府 BBC 2003年10月
ドイツの公共放送に見る多元的民主主義を考える 隅井孝雄 Aura 12005年6月号
壁崩壊とテレビ(おはよう世界、冷戦後のメディア) 2009年4月6日
聞き取りインタビュー RBB広報局長ヴォルカー・シュレック 2005年4月