2010年03月31日

沖縄の基地撤去、国際的世論形成は可能だ

リレー時評 沖縄の基地撤去、国際的世論形成は可能だ 
No. 44 隅井孝雄 2010年1月25日

これは「ジャーナリスト、622号」2010年1月25日のコラム「リレー時評」に掲載された。

「鳩山アメリカと対等の関係を望む」、「菅新財務相円安発言」、「クリントン国務長官基地について確約を望む」、「小沢幹事長勢力振るう」、「オバマ政権は(日本に)タフすぎるか」、「ひき逃げ兵起訴ざれる」、「日本政府、核密約清算へ」、「岡田、クリントン会談」・・・・アメリカの有力紙「ワシントンポスト(電子版)はこの年明け連日のように日本関係の記事を掲載している。
昨年9月政権が交替してから世界各国のメディアが日本に注目するようになった。特に外交問題、日米関係にスポットが当る。前の自民党政権ではスキャンダル以外話題にもならなかったことを考えると隔世の感がある。外務省の調べだと鳩山、沖縄等をキーワードにする日本関連記事が諸外国のメディアで急増し、昨年10月には10万件を越えたという。
その中で1月10日の投稿記事が私の目を引いた。「沖縄問題での鳩山政権の”動揺”は民主主義の証」と題する小文は「100万を越える沖縄の住民は美しい浜辺と海を空港に変えることに反対している。犠牲を彼らに強要することは難しい。日本の首相が(アメリカの意向に添うことを)ためらっているのは民主主義が機能している証拠ではないか」という。県民の意向が政治に反映する可能性があると示唆しているのだ。どうやら沖縄駐留の経験がある人物の投稿らしい。どちらかと言うと鳩山政権に批判的な記事の多いワシントンポストがこの投稿を掲載したことに私は国際世論の微妙な変化を見る思いだ。
イギリスの主要紙も連日のように東京発の記事を送り続けている。代表的な経済紙「ファイナンシャルタイムス」は昨年11月9日の辺野古移転反対県民集会を取材、写真付で大々的に報道した。この記事には島津藩の琉球処分、米軍統治、ヘリ墜落事故、普天間基地移転合意など年表付きの懇切丁寧な編集ぶりだ。同社東京支局が本社に送稿した日本に関する記事は鳩山政権発足以来100本にのぼると言う。
政権発足時以降、折に触れて日本のニュースを取り上げているBBCも鳩山政権の対米関係に関心を抱き、アメリカゲイツ国防長官の訪日を取り上げた昨年10月21日のニュースでは「日本にいる47,000米軍のほとんどが沖縄に駐留している。基地に終止符をうちたいという沖縄県民の強い願いを踏まえて、新政権がアメリカとどう交渉するかが、今後の日米関係のポイントになる」と伝えている。
1月13日には普天間移転を中心議題に岡田外務大臣とクリントン国務長官の会談が行なわれた。沖縄の基地をめぐる日米交渉は今や世界のメディアの関心の的になっている。青い海に望む砂浜、ジュゴンのいる海、さんごに囲まれた島には軍事基地はふさわしくないという国際世論を形成することは可能だと思う。アメリカに、世界に向けて沖縄の願いを粘り強く発信し続けることが、いまほど望まれる時はない。
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沖縄の基地撤去、国際的世論形成は可能だ

リレー時評 沖縄の基地撤去、国際的世論形成は可能だ 
No. 44 隅井孝雄 2010年1月25日

これは「ジャーナリスト、622号」2010年1月25日のコラム「リレー時評」に掲載された。

「鳩山アメリカと対等の関係を望む」、「菅新財務相円安発言」、「クリントン国務長官基地について確約を望む」、「小沢幹事長勢力振るう」、「オバマ政権は(日本に)タフすぎるか」、「ひき逃げ兵起訴ざれる」、「日本政府、核密約清算へ」、「岡田、クリントン会談」・・・・アメリカの有力紙「ワシントンポスト(電子版)はこの年明け連日のように日本関係の記事を掲載している。
昨年9月政権が交替してから世界各国のメディアが日本に注目するようになった。特に外交問題、日米関係にスポットが当る。前の自民党政権ではスキャンダル以外話題にもならなかったことを考えると隔世の感がある。外務省の調べだと鳩山、沖縄等をキーワードにする日本関連記事が諸外国のメディアで急増し、昨年10月には10万件を越えたという。
その中で1月10日の投稿記事が私の目を引いた。「沖縄問題での鳩山政権の”動揺”は民主主義の証」と題する小文は「100万を越える沖縄の住民は美しい浜辺と海を空港に変えることに反対している。犠牲を彼らに強要することは難しい。日本の首相が(アメリカの意向に添うことを)ためらっているのは民主主義が機能している証拠ではないか」という。県民の意向が政治に反映する可能性があると示唆しているのだ。どうやら沖縄駐留の経験がある人物の投稿らしい。どちらかと言うと鳩山政権に批判的な記事の多いワシントンポストがこの投稿を掲載したことに私は国際世論の微妙な変化を見る思いだ。
イギリスの主要紙も連日のように東京発の記事を送り続けている。代表的な経済紙「ファイナンシャルタイムス」は昨年11月9日の辺野古移転反対県民集会を取材、写真付で大々的に報道した。この記事には島津藩の琉球処分、米軍統治、ヘリ墜落事故、普天間基地移転合意など年表付きの懇切丁寧な編集ぶりだ。同社東京支局が本社に送稿した日本に関する記事は鳩山政権発足以来100本にのぼると言う。
政権発足時以降、折に触れて日本のニュースを取り上げているBBCも鳩山政権の対米関係に関心を抱き、アメリカゲイツ国防長官の訪日を取り上げた昨年10月21日のニュースでは「日本にいる47,000米軍のほとんどが沖縄に駐留している。基地に終止符をうちたいという沖縄県民の強い願いを踏まえて、新政権がアメリカとどう交渉するかが、今後の日米関係のポイントになる」と伝えている。
1月13日には普天間移転を中心議題に岡田外務大臣とクリントン国務長官の会談が行なわれた。沖縄の基地をめぐる日米交渉は今や世界のメディアの関心の的になっている。青い海に望む砂浜、ジュゴンのいる海、さんごに囲まれた島には軍事基地はふさわしくないという国際世論を形成することは可能だと思う。アメリカに、世界に向けて沖縄の願いを粘り強く発信し続けることが、いまほど望まれる時はない。
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2010年03月29日

テレビ評 12月8日と戦争

テレビ評 12月8日と戦争
No.43 1/13/10 隅井孝雄 

これは「Galac」2010年3月号(放送批評懇談会)のギャラクシー賞テレビ部門作品についての批評として掲載された。

2009年12月、日米開戦を話題にした「真珠湾の謎」(NHK総合12月6日)、「太平洋戦争への道」(NHK総合12月7日)、「障害者たちの太平洋戦争」(NHK教育12月6日)などの特集番組が放送された。12月8日についてニュースでの扱いがほとんどなく、民放も関連番組が皆無だったことに比べ、NHKの意欲的な取り組みが目を引く。
ニュースには決まりものというジャンルがある。真珠湾を屈辱の日とするアメリカでは12月7日にテレビが必ずニュースで扱う。日本では、原爆投下、敗戦へと続く8月にはニュース、慰霊式典中継、そして数々の報道番組が放送される。戦争に敗れた記録を振り返ることによって、戦争につき進んだ時代への反省とするというのはある意味では分り易い。しかし「戦果」を上げたかのようにみえる「真珠湾攻撃」のニュースに、当時、国民の間から鬨の声が上がった。「反省への糧」とすることは容易なことではない。
NHKは昨年8月「日本海軍400時間の証言」を放送した。英米との全面戦争へと大きく舵を切った戦争当事者たちが「戦争への道」を語ったもので、大きな反響を呼んだことは記憶に新しい。この番組が改めて「真珠湾」を見直すきっかけになったものと思われる。また昨年8月に国際共同制作の「よみがえる第二次世界大戦」(3回シリーズ)をNHKBSが放送したことも、12月の特集につながっているのではないか。
「真珠湾の謎」の場合、当時大本営は特殊潜航艇の魚雷が戦艦アリゾナを撃沈したと大々的に発表、乗り組んだ兵士たちを「軍神」とした。だがこの番組では、その事実を否定、大本営の「世論操作」であることを明かにした。新聞各紙やNHKの報道によって国民の戦意は高揚し、「特攻」は日常となったことを考えると、この番組自体、69年目の誤報“の検証という重大な意味合いを持つ。
今年は朝鮮併合100年という歴史の節目にあたる。「なぜ戦争を始めたか」を繰返し問い直す番組が数多く制作されることを期待したい。
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2010年03月28日

ドラマ「坂の上の雲」をめぐる近代史論争、NHKとの対話は可能か

 ドラマ「坂の上の雲」をめぐる近代史論争、NHKとの対話は可能か
 No.42, 1/1/10 隅井孝雄

 これは「放送レポート」222号(2010年1月、メディア総合研究所)に掲載された。

 NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」について放送に先だって日本近代史論争が起きている。この小稿が読者のみなさんの眼にふれるころには放送が始まっているが、放送前に、番組企画について視聴者から意見が出るのは珍しいケースではないかと思う。そこでいきさつを紹介しながら、この動きがはらんでいる問題について考えたい。
 発端は今年8月中旬京都で開かれた「NHKドラマ”坂の上の雲”を考える」だった。歴史学者中塚明氏(奈良女子大学名誉教授)の講演が行なわれた後、「日露戦争」などの著書のある歴史学者井口和起氏(京都府立大学名誉教授)を中心に、映像関係者、弁護士らによるシンポジウムが行なわれた。中塚教授はかねてからいわゆる「司馬史観」に批判的な見解を持ち、ドラマ「坂の上の雲」についても論考がある。
 京都ではちょうどこの頃、明治建築の京都府庁本館や海軍鎮守府のあった舞鶴ロケなどが重なり「坂の上の雲」への関心が高まり、会場の京大会館には参加者があふれた。私がもっとも興味を抱いたのは、テレビ番組への企画に対して歴史学者の立場から批判が行なわれたという事実である。
 「坂の上の雲」では日露戦争は祖国防衛戦争と位置づけているが、実体は日露両国による朝鮮の覇権をめぐる戦いであった、これを契機に日本は朝鮮を併合し、中国進出に向った、というのが中塚教授の見方である。日本の暴走は日露戦争の後からはじまったとして肯定的に見る司馬史観をそのまま描くことは近現代史を誤った認識に導くと批判している。更に氏は司馬遼太郎自身がこの作品について「映画とかテレビとか、視覚的なものに翻訳されたくない。ミリタリズムを鼓吹している様に誤解される恐れがある」(1986年5月21日ETV)と語っていることも紹介した。その上で、日本の韓国併合100年という節目に放送される番組としては問題がありはしないか、近現代史の認識を謝らせることにならないかとのべた。
 京都のシンポジウム名で送られた質問状に対し、NHKの番組プロデューサーの西村与志木氏は「(原作は)戦争讃美の姿勢で書かれたものではありません。近代国家の第一歩を記した明治のエネルギーと苦悩を描き、現代日本人に勇気と示唆を与えるものとしたいと思います」と回答している。ある意味ですれ違いだともいえよう。
 京都のシンポジウムの後、市民や歴史家による同じような集会は、川崎(11月1日)、神戸(11月8日)などで開かれ、全国的な規模に広がっている。放送直前の11月26日には「『坂の上の雲』を考える全国ネットワーク」がNHK改めて申し入れを行なった。その中で日露戦争を検証する番組を制作するようにと要望しているのが目を引く。一連の動きを見る限り、歴史研究家や視聴者はNHKとの対話を求めているといえるだろう。
 テレビドラマという作品の企画内容に視聴者が係わることが出来るのかどうかという問題もあるだろう。NHKスペシャルなどのドキュメンタリーでは近代100年の歴史を俯瞰し、戦争に衝き進んだ不幸な歴史を振り返りつつ、新たな日本のあり方を探る番組も数多く作られている。この機会にドラマも含んだ番組の企画、制作をめぐって、NHKの制作者と市民視聴者(特にこの場合は歴史学者)との間の対話の機会を持つ事は出来ないものだろうか。それが出来ればNHKが公共放送としての実体を持つ事になると思うのだ。
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2010年03月26日

地デジ化をめぐる外国の経験と日本の状況

地デジ化をめぐる外国の経験と日本の状況
No. 41, 12/19/09隅井孝雄

これは2009年12月19日 京都機関紙会館5階大会議室で開催された「地デジ問題を考えるつどい」(NHK問題京都連絡会議、住まいと人権を守る京都連絡会などの主催)での講演要旨である。

1.デジタルテレビへの全面転換、つまりアナログ放送の廃止は2011年7月に予定され、論議を呼んでいる。テレビのデジタル化は日本では2003年12月に始まった(大阪は2004年、京都は2005年)。現在異なった電波によって同時に二つの同じ放送が流れている。テレビ放送は日本では1953年に開始された。最初は白黒のローカル地上波だったがマイクロ回線によるネットワークが形成されて全国放送になり、1964年の東京オリンピックを契機にカラー放送が導入された。ビデオ器機、衛星放送、小型ビデオカメラの導入など幾つかの技術が進んだが、全面デジタル化は最も大きな技術変化だと言える。

2.テレビはデジタル化によって情報量と情報スピードが飛躍的に大きくなる。他の映像、音響、電話、コンピューター関連機器など一連の情報手段との相互乗り入れが可能になる。またテレビ放送をアナログ波からデジタル波に移行させる事によって、様々なデジタルシステム用の周波数を確保できる。国際機関で技術規準の統一が進んでいる。既にアメリカのテレビは全面デジタル化を行い、ドイツ、イギリス、韓国等の各国でもデジタル化、アナログ停波を目前にしている。

3.アメリカでは2009年2月17日に予定されていたデジタルへの移行を6月12日迄4ヵ月延期した。アメリカでは1憶1200万テレビ世帯の6割がケーブルテレビ、3割が衛星経由でテレビを視聴しているため、デジタルへの切り替は簡単だと思われていた。しかしアンテナで視聴しているほぼ1000万台のテレビは、貧困世帯、高齢者世帯が多く、テレビの買い換えがすすまなかった。政府はアダプターが買えるクーポンを用意したものの、申し込みが殺到して受取れない世帯が大量に出た。これが主な要因となり、オバマ新政権は貧困家庭への保護策重視の立場から延期した。結局2月17日には368局がアナログを停波、6月12日に約1000局が移行してデジタル時代に移った。なおハワイ州は2月15日に移行作業を行なった。FCCは4000人のボランティアが待機するコールセンターを設置したが、6月8日から6月12日の問合せは70万件に達した。

4.イギリスは世界の中で最もデジタル化が進んでいると言われている。BBCのデジタル放送は1998年に始まった。そして2002年デジタルプラーットフォーム、「Free View」 を立ち上げた。BBCは新たなデジタルサービスのチャンネルを次々に増やす一方、民放デジタル、衛星デジタルも包含、加入者は980万件に拡大した。2台目、3台目の契約をカウントすると1700万件になるとも言われている。この他衛星、ケーブルのデジタル加入が1200万件あり、デジタル普及はテレビ世帯の89.2%に達している。「Free View」 のアダプターは20ポンド(2800円)、基本サービスは無料というシステムである。現在の地上波テレビを含むチ51ャンネル、ラジオ24チャンネルが視聴できる。デジタル普及の先頭にたっているBBCはインターネットへの参入も積極的だ。マーク・トムソン会長は「インターネットを通じた番組配信は戦略の中心だ」と明言している。新しい展開の一つにインターネット上での番組配信iPlayerがある。2007年から開始、300近い番組を無料で視聴できる。視聴者はジワリと増え、テレビを持つことのなかった大学生など若者の間に広がっている。放送後一週間に限って見逃がした作品、ニュースを見ることが出来るのだが、こうした視聴者をどのようにして「受信料を払う契約者」にして行くかという課題があるようだ。

5.日本では山間部や都市集合住宅での共聴システムのデジタル移行が難しい。アンテナをデジタル仕様に変え、電波の方向を調節するのは予想以上の難問だということも最近明らかになってきた。このままでいくと500万世帯以上が一挙にデジタル難民化する恐れがある。デジタル受像機の普及は2009年12月現在6300万世帯だが、総務省の調査だと普及世帯は49.1%に止まっている。あと1年半で100%に達する保証はない。政府は生活保護世帯200万にチューナーを無償供与する予定だが、実は同程度の貧困世帯845万世帯は放置されたままだ。地方テレビ局の多くはすでに多額のデジタル出費を強いられている上、もし延期されればアナログ設備の補修、アナログデジタル両様番組制作、送出経費支出は大きな経済的負担になると危惧している。昨今の経済危機、広告不況などを考えると、制作番組の縮小、削減、質的低下の恐れがある。

6.テレビのデジタル化が進につれ市民メディア、独立メディアも盛んな動きを見せている。韓国では、アメリカ牛肉の輸入に対して市民の怒りが爆発したが、ビデオカメラやカメラ付きパソコンを持った若者が現場からの生レポートをインターネットに送り出すことによって、さらに抗議の波を広げ、誕生したばかりの政府を窮地に追い込んだ。韓国では市民メディアの活動が活発で、市民に受け入れられている。テレビに次ぐ情報メディアとして、広告収入でも新聞をしのぐ勢いを示している。

7.アメリカでは大企業に依存しない独立系のメディアが力を発揮している。技術革新が進んだ結果市民の誰もが、世界のどこからでもインターネット技術を駆使してレポートを送ることができるようななったことが市民メディア、独立メディアの支えだ。デモクラシー・ナウを放送しているエイミー・グッドマンは9.11でブッシュ政権が戦争に向かう動きを徹底して批判して視聴者の支持を拡大した。今では320ラジオ、268テレビのネットワーク持ち、インターネットを経由して全世界でも放送するようになった。こうしたメディアの躍進の背景には技術の変化もある。市民がテレビを、テレビスタジオを手にする時代が来たのだ。
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2010年03月24日

世界の公共放送の現状、韓国、イギリス、ドイツの場合

 世界の公共放送の現状、韓国、イギリス、ドイツの場合
 No. 40 11/5/09、隅井孝雄

 これは「法と民主主義」2009年11月号(日本民主主義法律協会)の特集「放送の公共性とは何か、NHKと情報法制の課題」の一つとして掲載された

 メディア再編に揺れる韓国
 2009年9月初旬、私はメディア研究者による日韓シンポジウムに出席するためソウルに滞在していた。そのソウルはメディア法の改正で大揺れだった。
 韓国国会でメディア法改正案が議決されたのは7月22日。与野党激突の大乱闘が繰り広げられた。野党の民主党は議決が無効であるとして最高裁判所に効力停止の仮処分を申請した。
 今回の改正の対象は「新聞法」、「放送法」、「マルチメディア法」(IPTV法)などメディア関連三法である。その骨子は新聞とニュース通信社の兼営禁止条項を廃止する、これまで禁止されていた新聞社および大手企業の資本参加を認める、というものである。資本参加の場合の上限は地上波10%、ケーブル、30%、インターネット49%としている。
 かつて1980年軍事独裁政権のもとでのメディアの統合で民放の東亜放送、東洋放送が廃局、それ以来KBS(韓国放送公社)とMBC二局となった。その後1991年に民放としてSBS(ソウル)など12の地域放送が生れた。MBS(文化放送)は広告を財源とする株式会社だが、その株式の70%は放送文化振興会(政府の外郭公社)が所有している。1990年EBS(教育放送公社)がKBSから分離した。事実上公共放送システムを中心とする寡占化体制が続いているといえよう。

 メディアコンテンツの多様化目指すイミョンパク政権
 イミョンパク政権は「2012年の完全デジタル化に備えるため、地上波、ケーブル、インターネットの規正を緩和する」としている。それによって「新聞、放送など韓国メディアのグローバルな競争力を高め、メディアコンテンツの多様化を促進する」のだという。またこうした改革で「メディアが活性化し、多様化すれば、若者に人気のあるメディア産業の雇用も増える」という。
 放送事情にくわしいジャーナリスト、アンミョンヒさんは「大企業は地上波に出る機会を窺がっている。しかし韓国ではインターネット、ケーブル、衛星、衛星モバイルで多様なサービスがあり、テレビ局を増やす意味はあまりない」と疑問を呈する。
 こうした状況に対して市民の側に強い反発がおきた。インターネット上には政府与党批判の書き込みがあふれ、韓国言論労組や民主言論運動市民連合などが、MBSなどの放送局やの支援を受けて大規模な抗議集会を開き、またKBSのプロデューサー、アナウンサーも一部参加するストライキも行なわれた。
 市民側の動向にくわしい尚志大学のキムキョンハン教授は「この動きに対して野党、言論労組を中心に地域メディア発展法を準備している」と語る。市民に身近な地域放送の新しい制度を創設することで対抗しようとする長期戦略が検討されているのだ。

 「メディアビッグバン」を歓迎する韓国新聞業界
韓国ではメディアの中で新聞の信頼度、接触率低下が著しいが、テレビの信頼度、接触率は極め高い。韓国言論財団の報道信頼度調査によると新聞の信頼度は1998年にテレビに追い抜かれて以来激減し、2008年には新聞16.0%、テレビ60.7%と大きく差が開いた。インターネットも新聞を追い抜き20%に達している。
韓国メディア信頼度 2008 韓国言論財団
1998 2000 2002 2004 2006 2008
新聞 40.8 24.3 19.9 16.1 16.5 16.0
テレビ 49.3 61.9 48.4 62.2 66.6 60.7
ラジオ 7.3 2.5 4.3 4.4 1.4 2.7
雑誌 1.8 0.4 0.8 0.3 0.8 0.4
ネット # 10.8 8.5 16.3 12.8 20.0
 新聞産業は今回のメディア法改正を「メディアビッグバン時代が来た」として、大いに歓迎している。「新聞と放送兼営、複数のケーブル総合チャンネルなどの許容でデジタル時代に向けてメディア産業構造を変化させるきっかけが出来た。現在の様な地上波の放送市場独占は維持できないだろう。新しいメディア技術の発展にあわせるという点で、今度のメディア関連法改定の意義を見出すことが出来ると思う」と韓国言論学界キムヨンギ会長(漢陽大学教授)はいう(2009.9.14中央日報電子版)。新聞業界と政府の目指す‘未来戦略’が極めて端的に読み取れる発言である。
 東亜日報、朝鮮日報、中央日報の三大紙にとってはまさに起死回生の法改正だが、どのような形で参入するかはまだ見えていない。
 
 巨大な影響力持つKBS
 KBS韓国放送公社の本社を訪ねた。国会議事堂のすぐ近くにある堂々とした社屋は文字通り韓国を代表する風格を備えている。
 現政権はKBSを出来るだけ政権に近い存在に変えたいと願っている、と韓国の市民は見ている。就任直後、昨年五月、イ政権はアメリカ牛肉輸入解禁問題で大規模な「キャンドルデモ」にさらされた。KBS、MBCなどの報道が大きな影響を与えた。またノムヒョン前大統領の検察捜査と自殺に関してテレビは政権に批判的な報道を繰り返した。
狂牛病を伝えた番組にねつ造があったとしてMBCの「PD手帳」の制作スタッフが逮捕、起訴されたが、市民は政権がテレビの”体質を変える”ために打った手だと見ている。
一方これまでノムヒョン時代の五年間社長だったチョンヨンジュ社長が汚職容疑で解任され、逮捕された。チョンヨンジュン元社長は韓国民主化の先頭に立ったと言われるハンギョレ新聞の論説主幹だった。新しく選ばれたイビョンスン社長は報道局スタッフを全員入れ替えた。

 KBSの広告は削減、受信料は値上げに
 今回のメディア法改正によって広告を財源とする新しいテレビメディアの登場が期待されている。そのためKBS2の広告放送枠を制限し、その見返りとして、KBSの受信料を二倍に引き上げることが検討されている。韓国の受信料は電力公社が徴収しているため、事実上不払いはない。現在KBSの決算審議だけが国会に送られている、与党ハンナラ党は受信料値上げの引換に予算も国会の審議対象にしたい意向だ。
 KBS(韓国放送公社)は日本統治下の1927年放送を開始した京城放送局が前身。戦後国営放送として米軍管理、朝鮮戦争などの苦難を乗り越え、1973年に韓国放送公社となった。
 第一テレビ、第二テレビ、U-KBS(UHF) のほか、ケーブルと衛星では子会社がドラマ、スポーツ、バラエティー、文化の4系統を持つ。ラジオはAM3波、FM2波、国際ラジオ4波、国際テレビ(KBSワールド)という大規模放送局である。教育放送公社EBSも財源は受信料だが、KBS2では広告放送が大幅に認められている。
 職員数5900人、KBC(韓国放送委員会)が監督機関だが、ハード面では情報通信省、ソフト面では文化観光省が政策的関与を行なっている。

 イラク戦争で存在感高めたイギリスBBC
 BBCの報道がイギリス国民の信頼を受けていることは議論の余地がないと私は思う。それは長い年月のたゆまざる積み重ねによるものであることは言うまでもない。
 BBCがイギリス国内でも海外でも、その客観性、公正さが際立って認識されたのは2003年のイラク戦争においてであった。従軍記者としてイラク戦争の生レポートに登場したクライブ・マイリー記者は、銃弾が飛び交う中のレポートで、イギリス軍の兵士から頼まれて照明弾を手渡したと反省をこめて語った。ともすれば報道者の立場を失いがちな従軍報道の危険性を視聴者に伝えるそのレポートは今も私の脳裡を離れない。 戦場報道のベテランとして国際的に知られるジョン。シンプソン記者は独立したユニ取材の記者として、クルーと共にイラクの戦場に赴いた。それには大きな代償があった。取材中アメリカ軍戦闘機の誤爆を受け、同行のクルド人スタッフが死亡、カメラマンも傷を負い、レンズには血がべったり付いた。彼はあくまでも戦争の恐怖を伝えたいのだと動じることもなく、その場からレポートした。
 イラク軍の捕虜になったアメリカの女性兵士ジェシカ・リンチをアメリカの特殊部隊が救出するという劇的なニュースが報道され、アメリカ中に歓声があがったことがあった。BBCはその「美談」に疑問を抱き、拘留されていた病院を取材した。そしてイラク兵が撤収して存在していなかったこと、イラク人医師たちが負傷していた兵士を手厚く看護したこと、米軍が映画さながら派手に救出を演出したことを明かにした。後にそのジェシカ・リンチ自身がすすんでテレビインタービューに答え、BBCの報道は立証された。
 イラク戦争にあたってBBCは詳細なガイドラインを作成している。わが軍と呼ぶのではなく、イギリス軍と呼ぶ、直接見たことでなければ、そのことを明らかにした上で伝える、政府や軍の情報はその信頼性を検証する、などが定められている。自らの国が参加する戦争で世界のさまざまな国の人々に信頼される客観性を保つという困難に挑んだのだ。

 問われたBBC受信料値上げの是非
 今年6月、保守党デーヴィッド・キャメロン党首が提案していた受信料凍結の法案が否決された。景気後退で民放が苦しんでいるのにBBCだけが値上げするのは筋が通らないというのが保守党の言い分だった。結局BBCの受信料は2%、3ポンド(372円)値上げされ、年142.50ポンド、月11.88ポンド(年22000円、月1830円)となった。
 問題は、商業放送の広告収入が激減していることから始まった。イギリス最大の民放テレビITVは1600人解雇、広告収入はラジオで20%、新聞で33%減った。BBCは今回の増収分を主としてデジタル化の推進、高齢世帯、貧困世帯のデジタル転換援助に当てるとしているが、商業局のローカルニュース支援にも増収分が支出される計画も明かになった。
 しかしBBCについて、依然として一部保守派からの攻撃が続いている。2009年8月、エジンバラで開かれた世界テレビ番組フェスティバルでスピーチに立った英SKY TVの社長ジェームス・マードック(ルーパート・マードックの次男)はBBCとその監督機関である「Ofcom」(Office of Communications 放送通信庁)を激しく批判した。アメリカのように市場原理にまかすべきだという論旨である。一部マードック系の新聞にBBC批判を見受ける。保守党への政権移行が予想されている中、何らかの形での公共放送制度改革は今後日程に上る可能性がある。
 こうした動きに対してBBCは最近の世論調査を引き合いに出し、「受信者の5人に4人はBBCを誇りに思うと答えている」(マーク・トンプソン会長)と反論している。

 イギリスのデジタル転換は成功例
 イギリスのデジタル化は世界でも最も成功していると言われる。BBCのデジタル放送は1998年に始まった。そして2002年BBCを主体にしたデジタルプラーットフォーム、「Free View」 を立ち上げた。加入者は現在980万件、この他衛星、ケーブルのデジタル加入が1200万件あり、デジタル普及はテレビ世帯の89.2%に達した。2012年には全面移行する。
「Free View」 のアダプターは20ポンド(2800円)、基本サービスは無料というシステムである。現在の地上波テレビを含むチ51ャンネル、ラジオ24チャンネルが視聴できる。
 デジタル普及の先頭にたっているBBCはインターネットへの参入も積極的だ。マーク・トムソン会長は「インターネットを通じた番組配信は戦略の中心だ」と明言している。
新しい展開の一つにインターネット上での番組配信iPlayerがある。2007年から開始、300近い番組を無料で視聴できる。視聴者はジワリと増え、テレビを持つことのなかった大学生など若者の間に広がっているのが特徴だ。放送後一週間は見逃がした作品、ニュースを見ることが出来るのだが、こうした視聴者をどのようにして「受信料を払う契約者」にして行くかという課題があるようだ。
 
 オンラインコンテンツの覇者目指すBBC
 若者を取り込むという戦略目標の中で、オンライン視聴者向けにゲームとサスペンスドラマを融合せる作品、双方向機能を駆使して視聴者のリアクションに応じてストーリを変化させるドラマなどの試みも成功している。これまでの番組制作のノウハウを、デジタル技術と融合させることに極めて積極的だ。そのためにBBCはIT業界、ゲーム業界の才能ある人材を次々にヘッドハントしている。デジタル技術戦略部長のエリック・ハガーズは「20年後にBBCの社名から放送という言葉が消えるかも知れない」と予測する。彼はマイクロソフトからBBCにやって来た。
 BBCの今後についてマーク・トムソン会長は「視聴者が特別だとおもう作品(コンテンツ)のために資金とエネルギーを集中する」と発言、放送、映像のコンテンツ面での世界の覇者を目指すことを隠そうとはしない。
 イギリスはBBCイコール公共放送という考えかたから一歩抜け出して、公共概念を拡大している様にも見受けられる。2009年6月に発表された「デジタル完了後のイギリス」という白書では、民放であるITVのローカルニュースを公共サービスと捉え、BBCの受信料の一部を割り当てた。BBC自身もITVローカルニュースの素材などを積極的に提供する。今後ローカルニュースの取材、制作の公共性を確保する為の新しい機構も検討されているという。それには地方新聞の取材、編集、発刊も包含される見込みで、白書は「独立ニュースコンソーシアム財団」の設立を構想している。

 ベルリン放送の数奇な運命
 5年程前に訪問したベルリンの公共放送局RBB(ベルリンブランデンブルグ放送)は78年にわたるドイツの放送の歴史を体現していた。
 本館兼ラジオスタジオは1931年ヒットラーが威信をかけて建設したドイツ様式のどっしりしたビルそのものである。黒光りした煉瓦が78年前の威容を残している。そしてテレビスタジオになっている高層新館の壁面には今でもSFB(自由ベルリン放送)のロゴがそのまま残っている。
 ナチスが崩壊したとき、怒涛のように進軍してきたソビエト軍が兵舎として接収した。そのあとこの地区がフランス軍の管轄になり、自由ベルリン放送として再生した。冷戦中この局のラジオ、テレビはベルリンの東側に呼びかける放送をしきりに行なった。このスタジオから放送されたコントラステという報道番組はひそかに取材スタッフを東に送り、さまざまな報道番組を壁の向こうに放送、東側に多くの視聴者を持っていた。ベルリンの壁崩壊の直前には、東ベルリンの市民のデモ、秘密警察の抑圧を撮影した取材フィルムが壁を越えてコントラステに届けられ、そのテレビ映像は壁の崩壊を早めることになった。
 そして統一後、東側だったブランデンブルグ州をエリアに包含してRBBとなったのである。

 州域公共放送が基幹放送
 ドイツの公共放送はARD(ドイツ公共放送協同体)とZDF(ドイツ第二テレビ)が並列している。ARDは州単位の放送局の集合体でありドイツの基幹放送である。ZDFは1961年、アデナウワー政権の元で国営全国放送として計画されたが、憲法裁判所の判断で公共放送としてスタートすることになったといういきさつがある。公共放送として補完的役割が期待されたと見ていいだろう。
 ARDには役員とか会長はいない。番組制作機能もない。9つの州放送協会の代表の合議制で、全国放送する第一テレビの番組は州放送協会の代表者会議に各局から企画が持ち込まれて決められる。もうひとつのチャンネル第三テレビはそれぞれの州局の独自編成という徹底した地方分権なのだ。国会議事堂に隣接した首都スタジオはARDが管理、運営しているが、ここからはそれぞれの州放送協会の記者たちが政治レポート、議会レポートをするために入れ替わり立替わりやって来る。いわば国会記者クラブスタジオと言った趣むきだ。

 多元的民主主義目指すドイツの公共放送
私がインタビューしたRBBのヴォルカー・シュレック広報局長(当時)は「ARDの歴史を語るには1945年にさかのぼる必要がある」と前置きして、次のように語った。
 「戦争が終わって国営ドイツ放送局は解体された。戦争中ナチスのプロパガンダの道具だった放送を、国家から独立した放送にするために地方分権による多元的民主主義を機構の上でも、番組の上でも追及することになった」。
 州放送協会の行政上の監督は州毎に選出される放送評議会にゆだねられている。RBBの場合、30名の委員によって構成される。委員の肩書を調べたがそれを列挙すれば、多元的民主主義の実態がよくわかる。
 プロテスタント教会、カトリック教会、在留外国人協会、ユダヤ人協会、ソルベ人協会、経営者連盟、商工会議所、手工業組合、公務員組合、労働組合、農民組合、サービス業労働組合、PTA協会、スポーツ振興協会、女性会議、青少年の会、大学学長会、映画協会、音楽評議会、芸術アカデミー、ジャーナリスト協会、自然保護協会、ベルリン州各政党代表、ブランデンブルグ州各政党代表などなどである。
 選出母体に委員決定にゆだねられ州政府は関与していない、ということだった。政党の発言権は3分の1にすぎない。
 地方分権と多元性は日本でも取り入れる必要があると私は強く感じた。

参考文献
メディアビッグバン時代、未来戦略とは何か 中央日報電子版 2009.9.5
国会大乱闘の韓国、メディア法可決、これで何が起きるのか チョウチャンウン趙章恩(JIBC会長、IT評論家) IT日経 2009.7.30
メディア法改正で新聞とテレビが対立 アンヨンヒ Galac 2009年5月号
韓国放送界の現状 放送文化と放送制度 月刊民放2005年12月号、アンチャンヒョン(KBS文化研究所研究員)
世界の放送2009 NHK放送文化研究所
聞き取りインタビュー キムヨンハン(尚志大学教授) 2009.9.11
聞き取りインタビュー アンミョンヒ(ジャーナリスト) 2009.9.12
聞き取りインタビュー イジンロ(霊山大学教授) 2009.9.12
BBC支配に終止符を、ジェームス・マードックが主張 ファイナンシャルタイムス 2009年8月29日
BBCは受信料凍結を受け容れるべきだ デイリー・テレグラフ 2009年3月16日 
マードックジュニア、BBC滅多斬り 小林恭子 Galac 2009年11月号
新動画時代、テレビは変る、英公共放送の挑戦 NHK 2008年3月20日
受信料はBBC以外に配分されるのか、英公共放送サービスの将来像論議の行方 放送研究と調査 2009年10月号
イラク戦争とジャーナリズム NHKBS1 2003年9月30日
イラク報道の真実、BBC vs. イギリス政府 BBC 2003年10月
ドイツの公共放送に見る多元的民主主義を考える 隅井孝雄 Aura 12005年6月号
壁崩壊とテレビ(おはよう世界、冷戦後のメディア) 2009年4月6日
聞き取りインタビュー RBB広報局長ヴォルカー・シュレック 2005年4月

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2010年03月21日

見る前に知っておきたい、ウォーターゲート事件

 見る前に知っておきたい、ウォーターゲート事件
 演劇評 フロストニクソン 
 No.39 10/19/09  隅井孝雄

 これは2009年11月から12月にかけて東京天王洲アイル銀河劇場と大阪梅田芸術劇場ドラマシティーなどで上演された舞台劇「フロストニクソン」(北大路欣也、仲井トオル)の紹介と解説記事の一部として「シアターガイド」2009年11月号掲載された。

 1972年6月17日深夜、5人の男がポトマック河畔のウォーターゲートビルにある民主党全国本部に侵入し、パトロール中の警官に逮捕ざれた。「ウォーターゲート」事件の幕開けである。最初はコソ泥かと見られていた男たちの一人が職業はと問われてあっさりCIAと答えた。彼らは盗聴用具を持っており、更に数千ドルの現ナマを手に切れるような100ドル札で所持していた。そしてやがて容疑はホワイトハウスの中枢部に及ぶ。
 ワシントンポストの二人の若い記者、カール・バーンスタインとボブ・ウッドワードが徹底した追跡取材を開始、アメリカを揺るがす事件に発展した。そして2年後のニクソン辞任という結末を迎えたのだった。この間の事情は1976年の映画「大統領の陰謀」(ダスティン・ホフマン、ロバート・レッドフォード)に詳しく描かれている。
 この事件がきっかけとなり「調査報道{ Investigative Report }」という言葉が生れた。政権内部の高官が匿名で取材に協力したが、ワシントンポストは当時上映されていた映画の題名から彼を「ディープ・スロート( Deep Throat )」と呼んだ。そのためこの言葉は内部告発意味する事となった。取材源秘匿が原則とされるようになったのはこの報道以後の事である。
 私の畏友筑紫哲也は当時ワシントン特派員としてこの事件を取材したが、それは彼のジャーナリストとして生涯の原点ともなった。ウォーターゲート事件ほど世界のジャーナリズムに大きな影響を与えたものはない。
 33年後の2005年5月、当時FBI副長官であったマーク・フェルトがディープ・スロートは私だと名乗りで出た。ボブ・ウッドワードと当時の編集局長ベン・ブラッドリーは、確かに彼だったとこの時はじめて認めた。ポスト紙は本人が名乗り出るか、死亡した時以外は秘匿することを原則にし、それを貫いたのだ。そのフェルトは名乗り出た後2008年12月に死去した。
 メディアの報道はニクソンを追い詰め、大統領執務室の録音テープの存在が明かになった。最高裁判所はテープの提出を命じるが、核心部分であると思われた18分30秒間のテープが消去されていた。一挙に大統領弾劾の声が上がるなか、ニクソンは1974年8月9日大統領職を辞任した。しかし彼は一貫して自らの非を認めず、謝罪の言葉を口にすることもなかった。
 イギリス人のテレビ司会者デイヴィッド・フロストのインタビューが行なわれたのはそれから3年後の1977年。ベトナム戦争は終結したが、アメリカ国内は経済が疲弊し、ベトナム帰還兵が街にあふれ、麻薬の習慣が蔓延するなど社会の混乱が続いていた。フロストがもたらした「ニクソンの謝罪」はアメリカが政治的、社会的混乱から立ち直るための重要なステップになったと言えるだろう。イラク戦争を経験し、なおかつ経済危機の只中に投げ込まれたアメリカが8年間のブッシュ時代と訣別し、オバマ政権の下で新しい歩みを進めようとしている今と、ある意味では重なるものがある。
 舞台劇「フロスト/ニクソン」はそれぞれに特異なキャラクターを持つ二人の人間がぶつかり合う心理ドラマであり、ディスカッションドラマだ。北大路欣也と仲村トオルの舞台の上での火の出るような対決が楽しみだ。(隅井孝雄) 

 フロストニクソン
 作 ピーター・モーガン、演出/上演台本 鈴木勝秀
 出演 北大路欣也(リチャードニクソン)、仲村トオル(デイヴィッド・フロスト)佐藤アツヒロ(ジム・レストン)、谷田歩(ジャック・ブレナン)ほか
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テレビ番組評 録音盤が語るNHKの戦争協力

 テレビ番組評 録音盤が語るNHKの戦争協力
 ETV特集 シリーズ戦争とラジオ 第一部 放送は国民に何を伝えたのか
 No. 38 8/16/09 隅井孝雄

 これは8月16日にNHK総合ETV特集で放送された戦争とラジオ、第一部「放送は国民に何を伝えたか」の番組評で、「Galac」 2009年11月号(放送批評懇談会)のギャラクシー賞テレビ部門月間賞作品評として掲載された。

 第二次大戦中NHKのニュースを視聴者が録音していた、その録音盤がある。今もそれを所持している高橋映一さんは多くを語らないが、録音されたニュースは多くのことを私たちに語りかける。
 NHKの番組やニュースの録音盤は敗戦直後焼却され、あるいは打ち壊されてほとんど残っていない。番組の中で再生された録音盤は沖縄特攻出撃の実況やサイパン玉砕のニュースなどであった。いわばNHK戦争協力の動かぬ証拠が出現したといえよう。
 NHKはこの放送が端的に示すように、国民の戦争協力心を高めるキャンペーンを、総力を挙げて展開したといえよう。NHKが主催した「起て一億の夕べ」(日比谷公会堂)の実況も録音が残っているが、それを聴くとその実態がよくわかる。
 残っている戦争中のニュース原稿をめくると、同盟通信から来た原稿を「放送用に書き直した」ことがわかる。それは単なる用語の書きなおしではない。日本軍機が一部未帰還だという記述を消し去り、「私ども一億国民も本土の守りに万全を期したいと」と加筆し、第一線将兵の闘志を強調する文言が加えられている。
 新聞の場合は記事が残ることもあって、戦争責任の追及は戦後すぐに始まった。最近でも戦時中の紙面を検証する作業が続いている。NHKが録音盤を発掘し、そして自らの手でどのような責任を負っているのかを明らかにしようとするこの番組を私は高く評価する。
 戦時中の「放送研究」などを元に、当時のNHKの制作、企画責任者たちの座談会が紹介されている。ドラマ仕立ての再現ではなく、分析的な造りにした方がよかったのではないか。
 当時の報道部員は取材しない。政府や軍の発表、同盟通信の配信を書き写すのが仕事。それをアナウンサーが読みあげた。ジャーナリズム機能を持たないまま広報宣伝機関として役割を担わされたNHKの戦争責任をどのように問うのかが今後に残された。
 隅井孝雄

 ETV特集、シリーズ戦争とラジオ、第一回「放送は国民に何をつたえたのか」
 放送 2009年8月16日 22:00-23:30
 語り 小野卓二、取材、鈴木政信、鈴木正徳、デャレクター 大森淳郎
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2010年03月19日

八月のテレビを見る---かつてない敗戦特集、核特集

 八月のテレビを見る---かつてない敗戦特集、核特集 
 No.37 8/25/09

 これはジャーナリスト、617号、2009年8月25日(日本ジャーナリスト会議)にリレー時評として掲載された。 

 夏休みに入ったたばかりの週末、思いっきりテレビ見た。そして日本が引き起こした戦争について、日本の未来についてじっくりと考える時を過ごした。4日間で見た第二次大戦や核関連番組は実に13本、のべ16時間に達した。「ヒロシマ、少女たちの日記帳」などNHKが力作、大作を揃えたが、民放でも「最後の赤紙配達人」(TBS)、「戦場のラブレター」(日テレ)など4本を数えた。このほか8月15日前後にもNHKドラマ「気骨の判決」など9本の特集が組まれ、徹子の部屋が8月13日から戦争体験特集を組んでいる。
 今年は戦後64年。テレビの場合50年とか60年とか切りのいい周年に力を入れることが多い。そういう習慣から見ると今年は、ナチのポーランド侵攻70年という以外にはいかにも半端な年なのに、なぜ番組が多いのだろうか。私はいくつかの理由が複合していると考える。
 戦争を知る世代が70歳を超え、時間との競争になっている。制作者たちは今しかない、という切迫した思いにかられているのではないか。
 アメリカのオバマ発言の影響もあると思う。彼は初めて、核兵器を使用した唯一の国としての責任について語り、核廃絶を目標にすると言及した。もはや核は抑止力ではなくなった、人類にとって危険な存在だ、とアメリカの識者も廃絶を訴えている。核兵器廃絶の運動は今年以降かつてない高揚期に入る。その状況は報道番組の制作者にも反映しているのではないか。
 民放では日本テレビ系の「NNNドキュメント」や毎日放送の「映像09」などが格差社会に切り込んで注目を浴びたことから活性化し、積極的な報道活動を続けている。2008年秋からは民放の番組編成でかつてなかったほどプライムタイムの報道番組が増えた。私の知る範囲ではNHKの放送現場は歴史に正面から向かい合おうとしている。試行錯誤はあるようだが、NHKスペシャルなどで、朝鮮併合、中国への侵略など日本の近、現代史がしばらく続く。番組と連動して「戦争証言」を集めアーカイブ化するプロジェクトもNHKが8月13日からはじめた。
 NHKや民放の番組のあり方についての批判の声が多い。もちろん批判すべき経営姿勢、番組内容が多々あることを否定するものではない、しかしさまざまな番組を見続けている私としては、放送番組を制作している現場と、市民社会をつなぐかけ橋をどのように構築するか、ということを常に考える。
 テレビは依然として非常に大きな視聴者を持っている。テレビに見入っている人の数や人々の視聴時間はこの10年ほとんど変わっていない。依然としてテレビは重要なメディアだという認識が私にはある。(隅井孝雄)
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テレビ評 ドラマ「遥かなる絆」 NHK

 テレビ評 ドラマ「遥かなる絆」 NHK
 No 36, 2009.8.6

 これは「Galac」2009年8月号(放送批評懇談会)のギャラクシー賞テレビ部門月間賞の作品評として掲載された。

 このドラマの原作「あの戦争から遠く離れて」は大宅壮一ノンフィクション賞や日本ジャーナリスト会議賞など受賞している。作者の城戸久枝とは授賞式等で言葉を交わしたが、もの静かでおとなしい、ごく普通の日本人女性である。その彼女が壮大な規模で展開する日中関係の歴史に中に生きることになった軌跡をドラマでどのように表現するのかという興味で番組を見た。
「遥かなる絆」には3人の主役がいる。父親役城戸幹(孫玉福)、娘の城戸久枝、そして孫玉福の養母付淑琴だ。時代もミニ大河ドラマとでもいうべき構成で、終戦直後から文化革命にいたる中国、久枝が中国に留学し父の軌跡に触れる1997年前後、そして現在と三つに分かれる。原作は時系列での記述だが、ドラマではこの三つの時を交錯させ、綾織りのように組み合わせた。岡崎栄の演出だからこそ、日中の60年の歴史を俯瞰して感動を紡ぎあげたのだと思う。
 中国部分はドラマの起きた現地牡丹江近くの頭道河子の村などで撮影された。凍結している過去の中国の雰囲気がよく再現されていた。玉福を引き取って歴史を生き抜いた養母付淑琴を演じた中国の女優岳秀清の演技が印象的だった。時に悲しみの誇張があったが、大女優の風格があり、みごとであった。また孫玉福の幼児、少年、青年を中国の二人の子役と青年俳優が演じているが、顔も仕草も似ていてうまくつながり、特に青年孫玉福役グレゴリー・ウォンは熱演だった。
 残留孤児二世ではあるとはいえ、その苦難を全く体験せずに普通の日本の女の子として育った城戸久枝が父の足跡を訪ねるうち次第に中国に引き寄せられる様子を、鈴木杏がさりげない演技で好演した。なれない中国語という設定もぴたり。
 欲を言えば最終回。少年の幻影が出現、牡丹江を見つめての父の感傷的なセリフがあり、ジワリと盛り上がるはずの感動をそらしたきらいがある。もう少しさらりと終われなかったか。

「遙かなる絆」 2009年4月18日から5月23日放送、NHK総合
 原作 城戸久枝、脚本 吉田紀子 演出 岡崎栄、石塚嘉
 出演 鈴木杏、グレゴリー・ウォン、岳秀清、加藤健一
posted by sumiitakao at 13:24| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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