演劇評 フロストニクソン
No.39 10/19/09 隅井孝雄
これは2009年11月から12月にかけて東京天王洲アイル銀河劇場と大阪梅田芸術劇場ドラマシティーなどで上演された舞台劇「フロストニクソン」(北大路欣也、仲井トオル)の紹介と解説記事の一部として「シアターガイド」2009年11月号掲載された。
1972年6月17日深夜、5人の男がポトマック河畔のウォーターゲートビルにある民主党全国本部に侵入し、パトロール中の警官に逮捕ざれた。「ウォーターゲート」事件の幕開けである。最初はコソ泥かと見られていた男たちの一人が職業はと問われてあっさりCIAと答えた。彼らは盗聴用具を持っており、更に数千ドルの現ナマを手に切れるような100ドル札で所持していた。そしてやがて容疑はホワイトハウスの中枢部に及ぶ。
ワシントンポストの二人の若い記者、カール・バーンスタインとボブ・ウッドワードが徹底した追跡取材を開始、アメリカを揺るがす事件に発展した。そして2年後のニクソン辞任という結末を迎えたのだった。この間の事情は1976年の映画「大統領の陰謀」(ダスティン・ホフマン、ロバート・レッドフォード)に詳しく描かれている。
この事件がきっかけとなり「調査報道{ Investigative Report }」という言葉が生れた。政権内部の高官が匿名で取材に協力したが、ワシントンポストは当時上映されていた映画の題名から彼を「ディープ・スロート( Deep Throat )」と呼んだ。そのためこの言葉は内部告発意味する事となった。取材源秘匿が原則とされるようになったのはこの報道以後の事である。
私の畏友筑紫哲也は当時ワシントン特派員としてこの事件を取材したが、それは彼のジャーナリストとして生涯の原点ともなった。ウォーターゲート事件ほど世界のジャーナリズムに大きな影響を与えたものはない。
33年後の2005年5月、当時FBI副長官であったマーク・フェルトがディープ・スロートは私だと名乗りで出た。ボブ・ウッドワードと当時の編集局長ベン・ブラッドリーは、確かに彼だったとこの時はじめて認めた。ポスト紙は本人が名乗り出るか、死亡した時以外は秘匿することを原則にし、それを貫いたのだ。そのフェルトは名乗り出た後2008年12月に死去した。
メディアの報道はニクソンを追い詰め、大統領執務室の録音テープの存在が明かになった。最高裁判所はテープの提出を命じるが、核心部分であると思われた18分30秒間のテープが消去されていた。一挙に大統領弾劾の声が上がるなか、ニクソンは1974年8月9日大統領職を辞任した。しかし彼は一貫して自らの非を認めず、謝罪の言葉を口にすることもなかった。
イギリス人のテレビ司会者デイヴィッド・フロストのインタビューが行なわれたのはそれから3年後の1977年。ベトナム戦争は終結したが、アメリカ国内は経済が疲弊し、ベトナム帰還兵が街にあふれ、麻薬の習慣が蔓延するなど社会の混乱が続いていた。フロストがもたらした「ニクソンの謝罪」はアメリカが政治的、社会的混乱から立ち直るための重要なステップになったと言えるだろう。イラク戦争を経験し、なおかつ経済危機の只中に投げ込まれたアメリカが8年間のブッシュ時代と訣別し、オバマ政権の下で新しい歩みを進めようとしている今と、ある意味では重なるものがある。
舞台劇「フロスト/ニクソン」はそれぞれに特異なキャラクターを持つ二人の人間がぶつかり合う心理ドラマであり、ディスカッションドラマだ。北大路欣也と仲村トオルの舞台の上での火の出るような対決が楽しみだ。(隅井孝雄)
フロストニクソン
作 ピーター・モーガン、演出/上演台本 鈴木勝秀
出演 北大路欣也(リチャードニクソン)、仲村トオル(デイヴィッド・フロスト)佐藤アツヒロ(ジム・レストン)、谷田歩(ジャック・ブレナン)ほか