2007年12月27日

見た!聴いた! 中東テレビ事情 その1 イラクのテレビ、市民の心捉えた民放娯楽番組

見た!聴いた! 中東テレビ事情 その1
イラクのテレビ、市民の心捉えた民放娯楽番組

 この記事は2007年7月7日発刊の隔月間誌「放送レポート」207号(メディア総合研究所)に掲載されたものの再録である。

今年1月私はドバイ、カイロなど中東を旅した。この二つの都市は中東全域での衛星テレビのセンターでもある。残念ながらバグダッドに行くわけにはいかなかったが、アラブのテレビ事情を調べながら、果たしてイラクではテレビはどうなっているのかに思いをめぐらせ、放送関係者に話を聞き、さまざまな資料を集め、このレポートを書いた。カイロ滞在中、ホテルや友人宅で衛星テレビが放送しているおよそ300を越えるたくさんのアラブ系のチャンネルに接することができた。その中にはイラクで放送されている番組も見ることができたのは幸いだった。今回の第一部でイラクのテレビを、次号の第二部では中東全体を見る。

イラク平和テレビ開局目前
5月イラクでイラク平和テレビ(IFC-SANAテレビ)という新しい衛星チャンネルが開局を目前にしている。
このことを知ったのは、私がかかわっているコミュニティーラジオ京都三条ラジオカフェの「がんばれイラク市民ラジオ」というミニ番組だった。全盲の青年河内屋収さんが、イラクの市民の復興を助けようと点字の取材メモを片手に3年前からはじめた番組だ。最初はイラク戦直後のバグダッドに市民ラジオ局を作ろう、それを支援する運動を日本で広めたいということだったが、今では番組名はそのまま、イラクに市民の手による平和テレビ局を作ろうというスローガンに変わった。
テレビ局開設の準備を進めているのは無党派の民間団体「イラク自由会議」(IFC)という組織だ。IFCの呼びかけでテレビ局開設の資金を集めようという日本の民間団体の運動が起こり、2007年2月までに4000万円を集めた。ほとんどはイラク市民を支援する日本の平和活動家たちが進めたカンパ活動によるだ。
今年1月13日、最初の放送の映像を披露するというので、京都の「イラク平和テレビ募金委員会」の会合に出かけていったが残念なことに番組視聴は中止になった。バグダッドの状況が極端に悪化、夜間外出禁止令が出ている。取材ができない、放送局のスタッフが事務所兼スタジオになっているビルに出入りできない、放送開始はしばらく延期する、とのことであった。
それから4ヶ月たった今年5月2日、来日したIFCの議長、サミール・アディル氏が記者会見でイラク平和テレビ開設したと発表、近く放送を始めると語った。サミール議長はさらに「イラクのテレビ局のほとんどが、分断をあおっている。われわれのテレビは米国の占領のひどい実態を暴き、宗派抗争とテロに立ち向かう放送をしたい」と述べた。
使用する衛星は軌道東経17度に位置するヨーロッパ系のホットバード8、そのトランスポンダー14から当面一日二時間分の番組を三回繰り返して放送、ゆくゆくは24時間包装にしてゆくとのことである。
イラク国内はもとより、南ヨーロッパや中東全域で視聴することができるが、日本向けにはインターネット配信が計画されている。イラク平和テレビ募金日本委員会ではインターネットでの番組視聴会員や、日本語版制作協力会員を募集している。
フセイン崩壊後急増したイラクメディアは2006年に入ってから宗派のイデオロギーを明確に打ち出すようになり、それぞれ敵対する宗派、グループによってメディアの幹部や記者、レポーター、アナウンサーなどが襲撃の対象にすらなる状況が起きている。
 「イラク自由会議」によるサナテレビは「宗派間の抗争には組さない報道」を行うと宣言しているが、そうした主張自体がテロの対象になりはしないかと危惧を抱く。

壊滅したフセインのイラク国営放送
フセイン時代イラクには国営放送のテレビが3チャンネルの放送をしているだけだった。衛星放送の受信は厳重に制限され、アンテナが見つかれば逮捕された。情報相の厳重な統制、検閲のもとフセインの演説のための道具となり、「テレビを見たければ、画面にフセインの肖像写真を貼り付けておけばいい」というジョークすらあったほどである。
イラク戦のさなか、アメリカ軍がバグダットに突入した映像が全世界に流されているというのに、イラクのサハフ情報相はテレビカメラの前で「米軍のバグダッド進攻の映像はハリウッド映画と同じようにすべて作られたものだ」語り、その映像もまた世界中に配信された。
イラク戦の終盤2003年3月26日アメリカ空軍はイラク国営テレビの局舎をトマホークが空爆したと発表した。アメリカ軍はテレビ局が軍事的目的で利用されたからだと釈明、一部には新型電磁波爆弾で通信回線をかく乱したとも伝えられたが真偽は確認されていない。放送は激しいノイズ音とともに電波が中断した。その後もバンカー・バスターによる攻撃は続き、放送施設は完全に破壊され、国営放送は沈黙した。
2003年4月21日、瓦礫と化したイラク国営放送に足を踏み入れた日本テレビ水島記者は政治報道部に隣接するアナウンス室跡で一片の紙切れを見つけ出しレポートした。それは開戦当日のフセインのテレビ演説原稿とその前後のコメントであった。しかもサハフ情報相の手書きである。国営放送のアナウンサーはファックスで送られて来た情報省の原稿や声明を読み上げるだけだったのだ。テレビ演説するフセインの映像自体も大統領警護隊が収録して国営テレビに送ってきた。瓦礫の中のファックスはイラク国営テレビが完全に情報省の支配化にあったことを如実に物語るものであった。
バグダッドが陥落した翌日、アメリカは通信施設を搭載した放送専用機コマンド・ソロを使って空飛ぶ放送局を開局、地上への放送を開始した。第一声はイギリス、ブレアー首相とアメリカ、ブッシュ大統領による「フセイン政権は崩壊し、抑圧の時代は終わった」とするイラク国民へのメッセージであった。テレビはチャンネル3、FM100.4、AM6.19での放送であり、航空機は11本のアンテナを搭載していた。
この放送は直前まで米軍第4心理作戦本部がイラク兵に投降を呼びかけていた「コマンド・ソロ作戦」を引き継いだものである。

 アメリカの手で再開された国営テレビ、林立する衛星テレビ
 2003年5月、地上戦闘が終結し占領体制に入ったイラクではアメリカを主体とする暫定行政当局CPAの主導の下、新聞、ラジオ、テレビを統括するIMN( イラクメディアネットワーク)が誕生、テレビの分野では、IMNの一部門としてアル・イラキーア(イラクテレビ)が放送を開始した。第一チャンネルはニュースを含む総合放送、第二チャンネルは文化教養放送であった。事実上の国営放送の再開である。
新しいテレビ局設立の経費は、アメリカ政府が拠出するイラク復興資金の中から出たことは言うまでもない。国内のテレビ開設資金2400万ドルはそっくりアメリカ政府が負担したが、後にアメリカ企業への放送施設発注入札が賄賂を伴ったものだったとしてスキャンダルになった。そして2004年6月、IMN全体の管轄はイラク暫定政権に移行した。
 こうした状況の中でおびただしい量で流入したのが衛星放送である。フセイン時代はアンテナで衛星を見ていることがわかると6ヵ月以上投獄される有様だったことへの反動で、人々は争って衛星用のパラボラアンテナを購入した。戦闘終結後3ヶ月で600万セットの衛星アンテナが飛ぶように売れという国連の推計がある。
最初に人々の目に触れたのは、アルアラビア、MBC(アラブ首長国連邦)、アルジャジーラ、アルジャジーラ・スポーツ(カタール)、ヘイヤ(レバノン、女性チャンネル)、Rotana(サウジ音楽放送)などイラク以外のアラブ諸国の衛星チャンネルであった。衛星ブームに乗ってイラク国内でも国営アル・イラキーアが衛星放送を始めたのに続き、イラク初の民放局アル・シャルキーアも登場した。更にクイズ、コミックなど娯楽中心のアル・スマリア、生活情報中心のアル・ディヤール、エジプト資本をバックにした総合編成の民放アル・ナハーレンなどが次々に開局、2004年には30チャンネル以上となった。
 地上波ではフセイン時代地下ラジオ放送をしていた政治勢力がいっせいにテレビ放送を始めた。イスラムダワ党系のアル・マサール、クルドのフッリーア・テレビ(愛国同盟系)、クルディスタン・テレビ(クルド民主党系)、イラク・イスラム革命最高評議会のアル・フラート、イラン国境からの越境電波であったアル・アラムなどである。
アル・イラキーアは国営放送に代わるものと受け止められた。当初は暫定政府の広報のほかレバノンやエジプトから購入した外国番組も数多く放送した。番組の背景音楽に欧米の音楽が流れることもあり市民の支持もイマイチ。たとえばモスクの映像にかぶさるアメリカ音楽はイスラム教への冒涜になると嫌われる場合もあったという。
初期のアル・イラキーアはフセインの息子ウダイが宮殿に残していた3000本のVHSテープを放送に使用したということだ。そのほとんどはアメリカ製のマンガやハリウッド映画であった。アル・イラキーアの番組は、正規の政権が誕生、放送の実権がIMNの手からイラク人スタッフの手に移るまで、アメリカの宣伝放送、カイライ放送と見られ、きわめて不人気でありイラク市民の支持を得ることがほとんどなかった。

娯楽番組への渇望
イラクで今人気を得ているのは広告を財源とするアル・シャルキーアとアル・スマリアの二つの衛星民間放送である。
イギリスの民放局ITNが2006年に制作したドキュメンタリー「笑いと涙がイラクを救う、テレビの力」という番組を見る機会があった。イラクの人々の心を捉えた娯楽番組と市民の反応を取材したものである。ITNはイラクのテレビ事情を次のようにレポートした。
「20年にわたって軍歌と愛国心高揚が強調されるサダムお抱えテレビが消えた後、2004年にアル・シャルキーアやアル・スマリアという民放の娯楽放送が始まり、人々は感動した。娯楽番組への憧れ、渇望から衛星アンテナは飛ぶように売れ、外出もままならない日常生活の中、人々は夜になるとテレビを囲む暮らしが始まった。イラクスターというイラク民謡を唄うのど自慢は抜群の視聴率を誇っている、俳優たちは自爆テロ、検問、道路封鎖を乗り越えてロケ現場に行く。マジェド・ヤシンという人気コメディアンが道行く人を捕まえて問題を出すごくシンプルなクイズ番組もあり、正解すればその場で賞品がもらえる。バグダットのサンタクロースとしてこの町の中で知らない人はいない・・・・。」
「国営放送の元アナウンサーだったシャイマ・ズビアは衛星放送の登場で一躍人気タレントになった。彼女は住宅リフォーム番組(Labor and Material)を司会している。爆弾で破壊された住宅を一軒一軒訪れて、見放されて途方にくれた住民を助けて住宅を元通りに作り直す。彼女は暴力が横行しているサドルシティーにも憶さないで出かけてゆく・・・・」。
イギリス、アメリカで盛んなリアリティー番組の手法だが、イラクの現状を鋭く告発する視点、荒廃と混乱の中に生きる市民への暖かい視点で生かされていると私は思った。
このところ視聴率ナンバーワンを誇っているのは、もう一つの衛星民放アル・スマリアの「イラク・スター」である。いわばタレント登龍番組であるが、原型は英米で大ヒットしている「アメリカン・アイドル」と「イギリスポップアイドル」だ。出演者がイラクの民謡、歌謡曲を競いケイタイメールで視聴者が優勝者を決める。バグダッドで勝ち抜くと中東全域から優勝者が集まるベイルートの本選に出場する権利を手にすることが出来る。視聴率は常に60%以上だと聞いた。
これまでにイラク政府が放送免許を与えたテレビ、ラジオ局はおよそ100局に及ぶ。しかし皮肉なことに言論表現の自由を得た放送メディアは政治や社会をいっせいに諷刺し始めた。人気の高いのはコメディアン、マジェド・ヤシンの「カリカテーラ」、庶民の中に入り込み、やさしいクイズと賞品で人々の心をつかむとともに、イラクの政治家をジョークで笑いのめす。しかし、シーア派の政府、政治家への批判は視聴者の一部の反感を買うという綱渡りもあるのだという。ラジオでは視聴者がコールインで次々にジョークを披露しあうという毎日夕方の放送「マタータ」(マハバラジオ)が人気だと聞いた。
他にも占い番組「ハイタワー」、「人々の夢」、警官が主人公のアクション番組「コブラ」、などがある。「コブラ」は一エピソード700ドルの制作費をかけるが、これはイラクのテレビ番組では破格の金額だとも聞いた。アル・スマリアの専務、ジェーン・クロード・ボウロスは「テレビはイラクにとっては魔法の世界のようなものだ。夢を与え、そして大衆とつながることでビジネスとして成功する」と語った。

イラクのマードックと商業放送の成功
衛星娯楽チャンネル、アル・シャルキーアを成功に導いたのはイラクの大物ビジネスマン、サード・バザズ(Saad Bazzaz)である。しばしばイラクのマードックとも言われる。衛星ビジネスには3000万ドルを投じたのに加え、イラクでは発行部数トップの新聞アザマン・デイリーやアザマン・スポーツデイリーを所有、月刊雑誌も持っている。
イラクが混乱の中にあるからこそ、人々はテレビの娯楽番組で一ときの安らぎを手にし、情報を追い求める。バザスは欧米からやってきた広告会社やスポンサーに説得に成功したようだ。ケイタイのノキア、飲み物のペプシ、洗剤のパーシル、衛星アンテナ、フィリップスの家電製品、各種のパソコンなど広告が画面に登場し、生活の必需品として市民が買い求める、という現実があるのだ。
サッチ・アンド・サッチ、BBDO、グレイ、ワールドワイド、スターコムなどの多国籍広告会社がイラクで、中東で活発なビジネス展開をしているという事実も背景にある。アメリカやイギリスのヒット番組のコンセプトやフォーマットを持ち込んだのもこうした欧米系の広告、PR資本であった。
もう一つの衛星民放アル・スマリアの資金源はレバノン資本だという。潤沢な資金、豊富な番組経験を持って、後発ながらアル・シャルキーアと激烈な視聴率競争を繰り広げている。イラク国内制作の番組を売り物にしているが、衛星への接続はベイルートからだ。放送局もテロの標的になっているバグダッドでは安全性が保障されないからだ。現にこの放送局のスタッフの一人は走行中に自爆テロに巻き込まれて死亡、大きなニュースとなった。
大人気の娯楽チャンネルを現実逃避だと責める意見もあり、宗教指導者など保守は娯楽番組に否定的である。しかし日々繰り返される爆弾テロや、武装組織との戦闘の中にあって、爆弾や血以外の慰めを求めようとする人々は毎晩テレビの前に座る。
(アル・シャルキーアは東方を意味し、アル・スマリアはメソポタミア南部の古代名であるという)。

イラク国内の主要地上波テレビ
アル・イラキーア
Al Iraqiyah イラク・メディア・ネット傘下の国営放送
シーア派政権寄り
アル・フラートテレビ
Al Frahto イラクイスラム革命最高評議会
シーア派、マリキ首相系
アル・サラームテレビ
Al Salam サドル派(シーア派)

アル・マサールテレビ
Al Masar ダフワ党(マリキ首相所属)
シーア派
バグダットテレビ
Bagdad TV イラク・イスラム党
スンニ派
アル・バビルテレビ
Al Babil イラク国民対話戦線
スンニ派
アル・ザウラーテレビ
Al Zawraa 元祖国防衛隊司令官(国境外からの放送)
スンニ派武装勢力
クルディスタンテレビ
Kurdistan TV クルド民主党
クルド
フッリーヤ(自由)テレビ
Furiyah TV クルド愛国党
クルド

イラク国内向け主要衛星放送
アル・シャルキアテレビ
Al Sharqiya 商業民放、娯楽(旧バース党系)
旧バース党系、中立
アル・スマリア
Al Smariyah 衛星民放、報道、娯楽
中立(本部ベイルート)
アル・ファイハ
Al Fayhaa 衛星民放、娯楽
中立
アル・ナハーレン
Al Nahrain エジプト資本
中立
アラ・フッラ
Al Hurra アメリカ政府の衛星ニュース放送
アメリカ寄り
アル・ディヤール
Al Diyar 報道、生活情報
無党派
サンラテレビ(準備中)
Sanra TV イラク自由会議
無党派

喜劇が悲劇に転じる、暗殺された制作局長
娯楽テレビをめぐって悲劇が起きた。国営テレビ娯楽番組の責任者が殺害されたのだ。
2006年3月アメリカのニュース番組ABCナイトラインの特派記者、ジェイク・タッパーはイラクに入った。国営アル・イラキーアが4月からはじめるコメディー新番組を取材するためであった。憲法改正によって占領下の暫定政府から正式政権への移管が迫っていた時期である。しかし議会が発足したにもかかわらず首相選出は紛糾し、宗派対立が激化し、米軍へのテロが拡大する一方であった。
この事態に苛立ったアメリカブッシュ大統領は「悪いニューが次々伝えられるが、それは敵の思うツボだ」とメディアを批判した。そこでABCはイラク市民生活の明るい側面を紹介しようと国営アル・イラキーアの新番組「僕とレイラ」というコメディーの制作風景を取材することになった。娯楽番組でアル・シャルキーアの後塵を拝しているアル・イラキーアは、イラクのダニー・デビードといわれるコメディアン、オーデー・アブダル・サタールを起用して巻き返しを図ったというわけだ。
バグダッド市内でロケは順調に進行していた。とそこへ思わぬ悲報が届いた。番組のプロデューサーであるアムジャド・ハミド制作局長が出勤途上暗殺されたのだ。制作は中止され、葬儀の日アル・イラキーアは放送画面の左上に黒い喪章をつけて弔意を表した。そして明るいニュースを送るはずだったABCジェイク・タッパーは2006年3月22日のナイトラインでこの一部始終をレポートしたのだった。
今、イラクのテレビもまた党派対立の渦中にある。
国営テレビアル・イラキーアのフセイン大統領処刑のニュースはアラブ世界に複雑な反応をもたらした。処刑の瞬間を流しただけではなく、このニュースをまるでお祭り騒ぎのように報道したからだ。真っ赤なサンタクロースの服を着たコメディアンのようなレポーターが街に出て処刑を歓迎する市民の声を伝えた。スンニ派のテレビであるバグダッドテレビは映像なしで処刑のニュースを読み上げただけだった。このバグダッドテレビは、国営テレビがほとんど取り上げないスンニ派地区でのテロ攻撃被害者の取材に積極的だ。
 もともと相異なる党派の手で次々に開局したイラクのテレビだが、2005年12月の議会選挙、それに続く2006年5月のマリキ政権樹立を境にして、テレビの宗派対立は激化した。国営アル・イラキーアは「民族や宗派による憎しみや暴力をあおる放送はしない」とガイドラインを設け、「テロリストにいる場所はない、イラクは生きる」というキャンペーン広告を流しているが、前述のようにアルキーアの編成幹部などまでがテロの犠牲になった。
 アメリカのジャーナリスト保護団体CPJによるとイラク戦争開始以来今までに殺害されたジャーナリストは104人。中でもイラクのジャーナリストが最も多く82人に達するがテレビではアル・イラキーア13人、バグダッドTV5人、クルディスタンTV4人などが攻撃の標的となって命を落とした。
posted by sumiitakao at 18:57| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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