2008年01月13日

大統領選挙まであと一年、アメリカ最新テレビメディア事情

 大統領選挙まであと一年、アメリカ最新テレビメディア事情
 隅井孝雄

 以下は月刊「力の意志」2007年12月号(Vol. 93)に掲載された記事の再録である。

 9.11パージのコメディアン、ビル・マー、五年ぶりの再登場
 今年11月15日、アメリカのABCテレビに政治風刺を得意にするコメディアンビル・マーがインタビュー出演した。
 9.11テロがアメリカを震撼させた2001年、ビル・マーは彼がホストを勤めるABCテレビの深夜番組「ポリティカリー・インコレクト」中で次のように発言をしたことが、騒ぎの火種となった。
 「なんだかんだ言ってもアメリカは卑怯だよ。2000マイル離れたとこからミサイルぶっ放すだけだもの。でもビルに突っ込む飛行機に自ら乗り込むというのは卑怯な行為ではないと思うね」
 スポンサーだったフェデックスとシアーズが広告を引き上げ、系列地方局が次々に放送を打ち切り、そしてABCは放送枠をキャンセルした。大統領報道官は「過激な言動は慎みたい」と名指しで非難、ビル・マーはすべてのテレビ局から出入り禁止になった。
 当時の状況はすさまじいものがあった。9.11が起きたとき、フロリダにいたブッシュ大統領は大統領専用機でネブラスカ空軍基地に避難した。このことについて「ネブラスカの穴に隠れた」、「母親のベッドにもぐりこんだ」と表現したジャーナリストは相次いで解雇された、
 ビル・マーはその後2003年からケーブルテレビHBOで「ビル・マーのリアルタイム」という風刺番組に転じ、最近の人気急上昇で2007年度エミー賞を受賞、カムバックを果たした。エミー賞の前日15日のインタビューでは、「相次ぐ政策の失敗から見てブッシュ大統領は弾劾されるべきだ」と意気軒昂である。

 ジェシカ・リンチが情報操作に風穴開ける
 9.11以降イラク戦争にかけてアメリカのメディアは政府の情報操作の波に翻弄された。好戦的報道を主導し、アンカーが胸に星条旗を着けて出演するメディアも出現した。いわゆるFox現象である。マードックのFoxニュースが、愛国主義を鼓吹し、視聴率を大きく伸ばしたのだ。
だがアメリカメディアの変化は2003年から徐々に始まり、その流れは2006年の中間選挙で決定的になったと私は見る。
 メディアがイラク戦争をめぐる政府の情報操作を打ち破った最初の例は、女性兵士、ジェシカ・リンチ上等兵にまつわるストーリーだった。
ジェシカ・リンチは2003年3月23日戦闘中に捕虜になり4月2日特殊部隊に救出された。救出の模様は特殊部隊広報班の暗視カメラで撮影され、大々的に放送された。
 しかしイギリスBBCが、当時イラク兵は病院にはいなかった、イラクの病院医師は手厚い治療を施した、特殊部隊カメラを引き連れてハリウッド映画のように戦闘態勢で踏み込んできた、などの現地取材をレポートした。さらにワシントンポストがジェシカ上等兵はアメリカ軍の車両どうしの衝突で負傷したもので、イラク兵と交戦していないと記事を書いた。「勇敢に戦って捕虜になった」という軍の発表を元にした自社の記事を訂正したのだ。
 テレビも一度は英雄美談として放送したが、後にリンチ上等兵とのインタビューで「私は怖くて横たわっていた、銃は壊れていた、イラクの医師は親切だった、軍がなぜカメラを持ち込んだのかわからない」というコメントを放送した。こうしてアメリカ政府と軍の情報操作が一挙に明るみに出ることになった。
 同じ頃新聞も軌道修正を始めた。イラク戦争開戦時の報道を検証、「政権の動向について記事にし、戦争を疑う意見や、政府の主張を検証する記事が足りなかった」(ワシントンポスト8/12/04)、「イラクの核兵器開発について、政府の情報操作にのせられた」(ニューヨークタイムス10/3/04)と言う記事を掲載して流れを変えたのだった。

 マイケル・J・フォックス、中間選挙の決定打となる
世論が大きく振り子を左に振ったのは2006年11月の中間選挙であった。
ここで図らずも主役を演じた男、それは俳優マイケル・J・フォックスであった。映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」、テレビシリーズ「スピン・シティー」などで知られる彼は、パーキンソン病で2000年に引退、社会活動に専念していた。そして難病克服の一環として、胚性幹細胞の研究推進を主張していた。
 イラク帰還兵でイラクからの撤退を主張する民主党のダックワースや、幹細胞研究に賛成するマカスカル候補を支持して彼は選挙終盤テレビコマーシャルに出演した。このコマーシャルについて、保守派のラジオ司会者ラッシュ・リンボウが「体が揺れているのは演技だ」と噛み付いたことが全米の話題となった。胚性肝細胞の問題はイラク撤退と並んだ選挙の大きな争点だった。
 結果としてパーキンソン患者であるマイケル・J・フォックスを誹謗したことに、リンボウが謝罪することとなった。自らまいた種とはいえメディアに君臨して権勢を振るっていた右派のラジオ司会者の敗退である。

 インターネットで出馬表明、テレビは古い?
 2008年の大統領選挙に向けて、民主、共和両陣営はそれぞれの予備選を展開中である。9月の段階ですでに1億ドル集めたと伝えられるヒラリー・クリントン議員を筆頭に、民主、共和両党の候補たちが集める選挙資金は史上空前10億ドルを突破するものと見られ、その多くが激戦区のテレビCMに投入される。
 だが選挙キャンペーンの舞台は確実にテレビからインターネットに向かい、YouTubeが猛威を振るい始めた。
投票まで1年10ヶ月も先立つ2007年1月20日、ヒラリー・クリントンがインターネット上で大統領選立候補を表明した。早くから出馬が伝えられていたため、意表を衝いて、週末の土曜日にインターネット発表という戦術に出たものと見られる。このため日曜に編成されている政治討論番組の話題を独占することとなった。そして22日月曜日は一日中メディア出演、そして夕方にはインターネットによる有権者と直接対話を行った。これをマスメディアが報道、クリントン現象を起こすことに成功したのである。
 共和党候補のジョン・マッケーン候補はCBSテレビのデイヴィッド・レターマンショー、ハリウッドのスターフレッド・トンプソン候補はNBCテレビのジェイ・レノショーで出馬宣言した。一昔前であれば、コメディアンが司会するバラエティー番組での出馬表明は新鮮さがあったが、いまや政治家の常套手段と見られ、ブログやYouTubeの話題性には及ばない。
 バラク・オバマ候補はブログ上のヒーローである。「キャンペーンソング」を自作し、YouTubeに投稿したオバマガール(ミス・エッティンガー)が歌う「オバマに一目ぼれ」(I got a crash on Obama)はヒットチャート入りした。素人の自作というが、投稿したグループは広告業界のプロ。真相は豊富なオバマ資金を使った、巧妙な選挙キャンペーンの一環ということだ。
 
 テレビ討論もYouTubeへ鞍替え?
 ところでCNNは2007年7月23日YouTubeと組んで民主党大統領候補の討論会を中継した。動画投稿を募り、それを候補者に直接ぶつけようというものだ。放送開始までにおよそ3000本の動画が投稿され、その中からセレクトされた質問が動画つきで映し出された。
 市民が直接質問できるYouTubeディベートを高く評価する意見がある一方、CNNが質問を選んだたことは批判の対象になった。投稿をYouTube上で人気投票にかけて選び出すことはいともたやすい。CNNなど既存メディアはいまだにYouTubeへの理解が不十分だといわざるを得ない。CNNとYouTubeは9月17日に共和党候補による同じスタイルのYouTube討論会も行った。
 今までのどの大統領選より早く、来年3月を待たずに民主、共和両党の候補が決まると見られる。それぞれ一本化されたあと投票日までの8ヶ月、政党単位のどのようなメディアキャンペーンが展開されるのか、果たしてYouTube現象は続くのか注目される。

隅井孝雄 国際メディアアナリスト、元京都学園大学教授(マスメディア論)

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2008年01月07日

テレビは国境を越える イラク中東の場合

シンポジウム テレビは国境を越える イラク中東の場合
隅井孝雄
 以下は2007年10月13日、高知大学で開催された放送芸術学会大6回全国大会におけるパネル討論での隅井の発言要旨である。

1. イラクではイラク戦争当時アメリカ軍によって国営放送は完全に破壊された。戦後米軍を中心にして放送が再開されたが、ニュース報道では宗派対立の武器としてのテレビメディアが次々に誕生した。しかし市民の文化に対する渇望を受けとめる形で商業放送も相次いで開局、ドラマや社会番組を放送し始めた。フセイン体制で禁止されていた衛星放送による視聴も一般的になった。
2. 外出禁止令の元で、情報にも娯楽にも乏しい生活を強いられたイラク市民は商業放送の娯楽番組、ドラマ、コメディーを熱心に視聴した。代表的なもの、「イラクスター」と「シャイマの住宅リフォーム」などである。
3. イラク、中東には商業放送でのコマーシャル活動を求めて英米の広告メディアが進出している。活発な広告、PR活動を展開している欧米系企業はBBDO、 Saachi & Saachi 、Gray、Starcom, World Wideなどである。
4. 商業テレビでは生活用品の宣伝がしきりに行われ好評を博している。広告活動の一環として英米の人気番組のコンセプトもイラク、中東一帯に進出し、ビジネスにもなっている。コンセプトビジネスはほとんど欧米の広告PR会社が仕切っている。「アラブスター」はその一環。Foxアメリカンアイドル、イギリスITVポップアイドルのコンセプト買いも広告プロダクションによる。
5. アフガニスタンでも同じようなメディア状況が広がり、人々はコマーシャルつきの商業放送で、娯楽番組を楽しんでいる。とりわけ民放ToloTVによる「アフガニスタンスター」は人気がある。
6. 中東では衛星放送(ナイルサット、アラブサット)によって中東全域をカバーするテレビ放送が極めて活発である。「アフガニスタンスター」も「イラクスター」も最終的にはベイルートで開催されるアラブスターで決勝を争う。
7. 中東で衛星視聴できる番組はおよそ1000チャンネルに上る。全アラブ社会が視聴する共通番組も多い。また世界の衛星放送もくまなく視聴できる。アラビア語の冬ソナもある。アメリカ、フランス、イギリスは中東向けニュース放送に熱心である。ビルの屋上にパラボラアンテナが林立する様子は、アラブ世界のほかにはない。
8. カタールのアルジャジーラは市民権を獲得し、中東におけるテレビ報道のモデルとなった。アラブの衛星文化の中心地はドーハ、アブダビ、カイロ、ベイルートなどである。これらの地域には大規模なメディアセンターがある。
9. このような状況のもと、アラブ世界は急速に国際化、近代化している。西欧風の民主主義文化への理解も進み、グローバルな文化が育っている。9.11に生まれた傷を修復し、中東が民主化される日がいつか来るに違いない。
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2008年01月03日

関西テレビ、自ら問い直す「コーポレートメディア」

 関西テレビ、自ら問い直す「コーポレートメディア」

 以下は2007年9月25日、「ジャーナリスト」594号のリレー時評に掲載されたものの再録である。
  
 8月28日関西テレビで「コーポレートメディア、放送は誰のものか」という番組が放送された。
 番組は冒頭で「視聴率にとらわれ実は視聴者のほうを向いていなかったのではないか」と反省の弁を述べる関西テレビの当時の千草社長、検証委員会の外部委員吉岡忍氏などを囲んでの現場スタッフの勉強会などを紹介したあと、このドキュメンタリーを作った報道局の迫川緑ディレクターはアメリカに飛ぶ。
 アメリカでは大手メディアが「コーポレートメディア(企業に支配されたメディア)」と批判されることが多いという。一方、普通の市民にカメラを渡し発信するチャンスを作っている活動も盛んだ。「会社組織で企業の都合が優先するというジャーナリズムの中で働くものとして放送は誰のものかという原点にたって考えようと思った」というナレーションが入る。
 迫川DはテレビのウオッチドッグであるNPO「フェアー」、市民の発信の拠点となっているビデオジャーナリストグループDCTV、パフリックアクセスのセンターであるマンハッタンネイバーフッドネットワークなどを訪ねる。また独立メディアでありながら大きな影響力を持ち始めたニュース番組「デモクラシーナウ」も取材した。
 ネットワークへのアプローチは難しかったという。現場がOKしても、正式な話になると断ってくる。かろうじてCBSのドキュメンタリー部門の責任者が取材に応じ「編集は独立しているが視聴率や広告の圧倒的なプレシャーがある」というコメントを取った。状況は共通だなというのが迫川Dの感想である。
 日本に戻って、カメラを回して喫茶店などで定期上映している大阪の市民グループ「カフェてれれ」など日本の現状を取材して番組は終わる。
「あるある大事件」後、関西テレビでは倫理綱領や番組、取材のガイドラインを作り直し、番組委託契約の見直しを行っている。またメディアリテラシーイベントの開催(6月16日)などかなり積極的な取り組みを展開している。会社のシステム上の対策は進んでいるのだが、放送現場はまだまだ沈滞したムードが払拭されていないようだ。8月27日に番組活性化委員会が旗揚げしたと聞いたが今のところ目立った変化はないという。
 日本の放送番組、放送産業の問題点の検証という意味で、関西テレビのみならず民放各局が、自らを問い直す番組を制作し、視聴者に問いかけることは、日本の放送の再生のために重要ではないか。是非とも続編で、日本のコーポレートメディアを徹底分析するなど企画を継続することを求めたい。


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2007年12月28日

見た! 聞いた! 中東テレビ事情 その二   ドバイとカイロのメディアフリーゾーンを歩く

見た! 聞いた! 中東テレビ事情 その二 
 ドバイとカイロのメディアフリーゾーンを歩く

 この記事は2007年9月1日発行「放送レポート」208号(メディア総合研究所)に掲載されたものの再録である。

 ドバイ・メディアシティーは中東世界戦略のカギを握る
中東のリゾート地ドバイは豊富な石油資源に恵まれ、観光開発のラッシュが続く。UAEアラブ首長国連邦は紛争の影ひとつなく安定した社会であることから、世界企業の投資が集中し、リゾート開発も盛んで、観光客が世界から集まる
 アラブの面影を湛えた旧市街から車で西に20分も走ると金融と情報のセンターとしての市街地開発が進み、ニューヨークと比べても引けをとらない高層ビルのニュータウンがそびえたち、世界中の有名企業がオフィスを構える。その一角にドバイメディアシティーがある。
 UAEアラブ首長国連邦はポストオイルを強く意識している。その世界戦略の重要な鍵は情報産業である。2001年に誕生したメディアシティーには世界のトップクラス1200社のIT企業、メディア企業がオフィスやスタジオを構え、世界有数のグローバル情報ハブを構成している。
 ここはフリーゾーンとして二つの特典を持つ。誘致された企業の活動に税金がかからない。そしてメディアにとっての生命線である言論、表現の自由が保障されているという意味でもフリーゾーンなのだ。UAE国内では時たま特定のブログがUAEの唯一のプロバイダーであるEtisalatによってフィルタリングされることもあるのだが、中東全域の中では比較的ジャーナリストたちの活動が保障された地帯だということも言える。
 ちなみにこうしたフリーゾーンシステムによる多国籍企業の誘致はドバイブームの中心事業になっている。フリーゾーン全体に流入するノンオイルマネーは527億ドル(5兆4000億円)に達する。
 ドバイは世界のクロスロード、中東、アフリカ、南アジアの交差点にある、とメディア・シティーのPRビデオは解説する。その利点を生かしてロイター、CNN、CNBC(米経済ニュース)、MBC(中東テレビ)、BBCワールド、アル・アラビア(中東ニュース)、ショウータイム(米娯楽)、ベルテルスマン(出版)、ソニー(映画、ゲーム)、ブルームバーグ(米経済ニュース)などのメディア関連はもとより、マイクロソフト、デルなどIT関連も含む世界メディア企業がメディアシティーに中東の拠点を置いているのだ。 
 ペルシャ湾をはさんでイランの対岸、そしてサウジの東南端に位置するドバイは中東の中でも経済的発展がもっとも著しい都市であり、中東のメディアセンターとしても重要だ。メディアシティーからアル・アラビア(中東全域向けのニュースチャンネル)、MBS(ドラマ、音楽などの中東全域向け娯楽チャンネル)など10を越える衛星チャンネルを発信している。制作される番組は月間400タイトルにのぼる。

 カイロ近郊に巨大な撮影スタジオ兼衛星センター出現
カイロにも同じようなフリーゾーンのメディアシティーが最近店開きをしたというのでたずねてみた。
 カイロ市内からアレキサンドリアハイウェイを北に50分(30キロ)ほど走った砂漠の中に「オクトーバー・シックス・シティー」という新興開発地帯がある。市の名前は1973年10月6日、アサド大統領がイスラエル軍を撃破してシナイ半島を奪回した記念日にちなんだものだ。砂漠を切り開き、植林された一帯に高級住宅地が点々と立つ。億ション風なアパートや、フロリダ高級リゾートに似た瀟洒な大邸宅もある。人ごみと喧騒に満ちた巨大都市カイロ市内とは全く対照的な風景が広がる。
その一角にエジプト・メディア・プロダクション・シティーEMPCが2005年に建設された。初期投資は3億ドル(360億円)、銀行など私企業とエジプト国営放送が公開株を持つという方式が取られたが、実際に投資を支えているのはUAE(アラブ首長国連邦)のオイルマネーだといわれている。
神宮外苑(30ヘクタール)の10倍、300ヘクタール(300万平方メートル)という途方もなく巨大な敷地の中には900平方メートルと600平方メートルというマンモススタジオが6ステージあり、加えてそれぞれが隣接したスタジオを持つ屋外のオープンセットが10種類もある。そのすべてを統括するマスターコントロールを経由して光ファイバーケーブルで衛星にリンクできる。同時にリンクできるのは18番組だそうだ。
つまり映画撮影所とテレビ制作スタジオ兼用の施設が衛星とリンクして18チャンネルもアップロードできるようになっていると思えばいいのだ。
びっくりしたのはオープンセット。カイロやアレクサンドリアの旧市街がそっくり再現されてというだけではなく、ルクソール、ギザのピラミッド、スフィンクスもある。周辺が砂漠だというのに敷地の中に砂漠のセットもあった。砂漠の遊牧民ベドウインの歴史ドラマや、中東戦争の再現に使われるためと思われる。農村には本物の野菜や果物が育っている。1930年代の列車も走り、線路や駅がいくつもあり、40台ものアンティークカーがいるでも走れるようにしておいてある。それでも敷地の三分の一はまだ手付かずで残っているということだった。
ハリボテピラミッドの立つ丘に登ると敷地の外に砂漠が広がっている。そしてそのまた向こうに本物のギザのピラミッドが見える。なんとも不思議な疑似体験である。
制作センターにはMBC、ドリームチャンネル、オービット、Rotana、CNE、アル・メハワールなどエジプト、サウジ、アラブ首長国連邦などの衛星制作会社がオフィスを持ち、クイズ番組、連続ドラマ、音楽番組などを切れ目なく制作し衛星に送り込んでいる。アラブ系衛星放送産業の隆盛ぶりを実感する。

エジプト映画の復興にも一役
EMPは劇映画も制作し、エジプトの映画産業の活性化を図ろうとしている。1950年代以降エジプト映画の黄金時代に活躍した国立映画スタジオは分割して民間に売却された。最新設備、フル装備のデジタル撮影システム、しかも衛星とオンラインで直結するスタジオはここだけである。
エジプトの映画産業は20世紀初頭に成立し100年の歴史を持つ。一時はハリウッドに匹敵する興行収入を生み出したときもある。1950年代の黄金時代を経て1970年代以降テレビに押され、ハリウッド映画に食われて衰退の一途をたどったが、1997年若い映画人による映画革命以降活性化した。EMPCもその一翼を担っている。
EMPCでは、現在歴史上の人物の若き日を描く劇映画シリーズの制作が始またところだ。第一作の「アレキサンダー大王の青年時代」が完成間近、第二作の「若き日のクレオパトラ」がまもなくクランクインする。劇場で公開し、衛星で有料放送し、DVDにし、外国にも販売しマルチに稼ごうという計画である。EMPCは40%出して共同制作に加わる。ここではアメリカのアニメのアラブ語版も制作して大いに稼いでいる。アラブ全域の衛星放送が顧客になるのでハリウッド様さまである。
EMPCは映画テレビの技術者や演出家を養成する学校「EMPCアカデミー」を併設しているが、第一期の卒業生100人の大半は、EMPCや制作会社ですでに現場で働いているのだという。
敷地内にはスタジオよりも大きい面積の大道具、小道具の部屋がある。のぞいてみたら古代から近代にかけての本物の家具什器がぎっしり詰め込まれさながら美術館か巨大アンティーックマーケットである。
ハイテクデジタル装備の機材、最新式の耐震構造、そして廊下はルクソールのような古代エジプト壁画やツタンカーメン像の複製で美しく飾られている。EMPCはまさに現代のピラミッド、ルクソールであると思った。

中東エンターテインメント復興の秘策を聞く
なぜこのような壮大なメディアセンターを建設したのか、EMPCの国際制作局長ユセフ・シェリフ・ラズカラ氏に聞いてみた。ラズカラ氏は国営テレビのニュース編集長、ナイルテレビの社長などの要職を歴任しているが、同時に映画批評家としてテレビ番組も持っていた。そしてつい最近までカイロ国際映画フェスティバル芸術監督を務めていた。
――なぜこのような壮大な施設を作ったのですか。
エジプト映画産業は中東では一番古い歴史と伝統を持っているのですが、21世紀に入って衰退の危機に直面しました。幸い数年前から歯止めがかかり、昨年は年間40本の映画を制作するまでに回復しました。現在中東では衛星テレビで数多くの映像が必要とされていますが、こうした新しい時代と結びつくことによって、映画とテレビの発展を図ろうと考えました。
――映画と衛星テレビの共存ですか。
カイロは中東の映画制作の中心地でしたから、各国のテレビ映画チャンネルの供給源です。またテレビの人気を映画館の観客動員につなげることが出来ます。
アラブの20ほどの局がこのスタジオ設備を使ってドラマやクイズそのほかの娯楽番組を作っていますが、そうしたテレビ局に演出、演技などを含む番組制作のノウハウを提供できるのです。またエジプトの映画人、テレビ人が作る質の高い作品をアラブの各国に販売して利益を上げることも出来ると考えています。
――どのような番組や映画を作りますか。
8月からのテレビシリーズで歴史上の人物を主人公にした作品を10本制作中です。制作費は200万ドル4分の1をメディアシティーが出し、後は民間の投資です。放送後に劇場で上映、アラビア語圏に権利販売します。EPMCのオープンセットにはエジプトの歴史上の建物や風物がほとんどすべて揃っていますから、監督は思いのままに作品を作ることが出来ます。制作費も格安で出来ますよ。外国のテレビ局、映画会社から、スタジオレンタルで作品を作りたいという申し込みがたくさんあります。
――カイロを中東の映画、映像そしてセンターにするわけですね。
そのとおりです。しかし、モロッコやドバイにも同じようなコンセプトのメディアセンターが出来ていますから、お互いに競争しながら共存することになるでしょう。
EMPCには映像制作スタッフを養成する学校EMPCアカデミーが併設されています。エジプトではカイロ大学のメディア学科とここだけが新時代のメディアで活躍する人材を養成しているというわけです。卒業生は希望すればこのスタジオで仕事につくことが出来ます。
ラズカラ局長の話を聞くにつけ、カイロのメディアシティーは映像文化の中東の拠点を目指しているように思えた。

衛星放送の交差点、カイロに林立するアンテナ群
砂漠を横切り。ナイルを渡り、再びカイロの市街地へ戻った。雑踏と喧騒、無秩序とゴミの山、そしてビルの上に林立するパラボラアンテナ。今にも崩れ落ちそうなビルの中ではしかし人々は1000チャンネルにものぼるテレビを見ている。不思議な街だ。
 住人の一軒一軒がアンテナを勝手に取り付けているということもあるが、気の利いた家ではいくつもの衛星を受信できるように3つも4つもアンテナを出している。リモコンはアンテナの角度も操作できる。
エジプトはナイルサット衛星二基を基幹にした衛星放送ネットワークでアラブ世界の中心的役割を担っている。これにサウジのアラブサット衛星四基なども加えてドバイ(首長国連邦)、カタール(クウェート)、サウジ、レバノン、イラン、イスラエル、リビアなどの衛星チャンネルがすべて衛星に包含されている。ヨーロッパ系の衛星経由で、イギリス、フランスなどニュースや娯楽番組が入る。またアメリカのCNN、MTV、コメディーチャンネル、Fox、NHKなど何でも入る。私にとって目新しかったのはアル・ジャージーラ・スポーツが中東圏のサッカーを流していたことだ。もちろん始まったばかりのアル・ジャージーラ英語ニュースもばっちり入る。

ヤシム教授に聞く中東テレビ事情
中東のメディアはかつてそれぞれの国の国営放送が施政者のプロパガンダ装置として存在していた。1990年代後半からアラブサット、ナイルサット経由での衛星放送が始まり、アルジャジーラなど中東全域で同じ番組を衛星で見る習慣が爆発的に広がった。
2003年イラク戦争を契機にアメリカの中東向け宣伝放送が始まり、現在ではBBC、CCTV(中国)はじめフランス、ドイツ、韓国なども中東地域での英語やアラブ語によるニュース送信を行っている。
そして中東全域の人々の心をつかむような報道番組、娯楽番組がサウジアラビア、UAE、エジプト、レバノンなどの地上局、衛星局から生まれるようになり、人々の生活の中に入り込み始めた。中東メディアの第三期である。
中東のメディア事情に詳しいバーレン大学ジャーナリズム科アドナン・ヤシム・メテア教授に中東のメディア状況について聞いた。
――サウジ、カタール、クエート、UAEなど中東のテレビメディアは地上波、衛星ともに盛んで、アメリカの番組、イラクの番組、ハマスの番組など何でも見ることが出来ますね。あなたは中東のテレビ全体の状況についてどのように考えていますか。
中東のメディアブーミングは一段落して新しい段階に入っています。アルジャジーラの登場と発展が極めて好ましい影響を与えました。アルジャジーラが中東地域全体の視聴者にアピールしたため、どこの国の政府もアルジャジーラをモデルにしたメディアの発展を考えるようになりました。その結果の番組の内容が改善され、ジャーナリズムとしてのテレビの発展が期待できます。アルジャジーラの報道を通じて西側の情報、報道に触れる機会も拡大しました。
――ドバイのメディアシティーはどのような機能を持っているのですか。
メディアシティーによってドバイは中東に開かれた世界への窓となりました。
中東地域の紛争地域、たとえばイラクやパレスティナの報道取材のセンターとしての機能があります。またグローバルなメディア企業が中東との接触拠点として活用しています。ドバイメディアシティーではCNN, BBC, NBC, MTVなどアメリカの大手メディア、エンターテインメント企業が活発な活動を展開しています。
――ドバイが世界のコミュニケーションセンターになったということですね。カイロにも新しいメディアシティーが建設されていますが、そことはどのような関係ですか。
ある意味では競争関係にありますが、カイロのメディアシティーに投資したのはドバイ資本です。カイロは中東の映像産業、音楽産業の中心地ですから、ドバイとは車の両輪となります。カイロ、ドバイともにメディアシティーでのメディア企業の活動は無税ですから世界のメディア企業が集まるのです。
――イランはこのような中東全体のメディアの動きとどうかかわりますか。
イランは政治的な体制が異なるだけではなく、言語もペルシャ語だという違いがあります。UAE(アラブ首長国連邦)とは領土問題で確執もあり、イラクのメディアは独自路線です。二年ほど前からアラブ圏の人々へのアプローチを目指したアラブ語の衛星チャンネルを複数放送し始めているということはあるので、まったく無関係というわけではありませんが・・・。
――中東地域ではアメリカがアラブ語によるテレビニュースチャンネルを開設していますが、それ以外にもBBC、フランス、ロシア、中国など次々にアラブ語によるニュースをはじめていますね。このようなニュース放送は人々に受け入れられているのでしょうか。
われわれにとってはこうした各国からニュースが入ってくるのは歓迎です。また彼らにとっても中東の出来事を知り伝えることは、今後の中東の安定に資することになるでしょう、
――こうした多様な情報はアラブ地域の各国の相互理解を深めることにつながりますか。
全くそのとおりです。中東地域は石油や天然ガスの供給源として世界経済に大きな影響を与えています。9.11とイラク戦争以降、多くのニュースが報道されることで中東世界についての理解も広がりました。相互理解も広がっています。

ドバイで放送メディア教えるアメリカ人
今年6月シンガポールで「第一回世界ジャーナリズム教育大会」が開かれた。世界各国の大学でジャーナリズムやメディアを教えている大学の先生方が集まり、メディアの現状を語り合い、新しいメディア時代に相応しいジャーナリストをどう育てるか、熱心に論議した。参加者の中にドバイの大学で放送ジャーナリズムを教えているアメリカ人の姿があった。ドバイ・ザイード大学メディア・コミュニケーション学科助教授のデイビッド・バーン氏である。
――アメリカの方ですよね。どうしてドバイで教えるようになったのですか。
私はメリーランド大学で放送ジャーナリズムを教えていました。ヨルダンに住んでいたこともあり、中東には関心を持っていました。ドバイの大学にメディア・コミュニケーション学科が出来ると聞き、たまたま国際会議でザイード大学の学部長にあったことがきっかけでドバイ行くことになったのです。2年前のことです。
 ――何を教えているのですか。
 私は教師10人程度の小さい学科で放送コースの学生を教えています。テレビの理論、制作などがメインですがコミュニケーション全般の講義もします。学生はUAE国籍に限られています。ほとんどが女子学生です。
 ――テレビ放送は何チャンネルですか
 政府直営のMBC(中東放送)が4チャンネル、それと7つの各首長国の放送が一チャンネルずつ持っています。そのうちアブダビテレビとドバイワンが衛星で放送されています。ドバイワンの英語放送は全中東地域で人気がありますよ。
 衛星有料契約すればありとあらゆるものが見られます。BBC、CNN、ブルームバーグ、CNBC などの西欧のものやイラン、パキスタン、イエメンなども周辺国の番組が見られます。イランのチャンネルはテヘランではなくロサンゼルスで制作され衛星に送り込まれているものです。エジプトカイロ発のドラマ、コメディーには人気があり、インドのボリウッド映画もあります。
 ――最も人気が出ているものは?
中東の若者の間に大人気なのは「スターアカデミー」です。レバノン人、エジプト人、シリア人など中東の若者をひとつの家に住まわせて、その暮らしぶりを24時間生放送するかたわら、歌や踊りなどを競わせ、視聴者の投票で一人ずつ振るい落としていくというリアリティー番組です。地域対抗の形をとっていて、視聴者の愛国感情を大いに刺激しています。
――アメリカ政府がポピュラー音楽のラジオ局やニューズテレビ局を中東向けに放送しています。人々は興味を持ってみていますか。
 アメリカ政府の宣伝放送(アラフッラ)はニュースチャンネルのスタイルをとっていますが、ほとんど見られていません。同じアメリカの宣伝放送ですがポップ音楽を流し合間にニュースを入れるスタイルのラジオ放送(ラジオサワ)はある程度聴かれているようです。間に60秒の宣伝放送が入ったりしますがね。
 勢いのあるのはパンアラブチャンネル、たとえばアルジャジーラ、アブダビテレビなどです。国を超えたニュースチャンネルによって人々が多様な情報に接することが出来るようになったため、国営放送のニュースでも今までのように政府に都合のいいものだけに統制するのが難しくなってきたといえるでしょう。
西側にはアラブ寄りと見られ、アメリカ政府に警戒されているアル・ジャージーラの場合、確かにアラブ語チャンネルにはわれわれから見れば偏りがあります。それはアラブの大衆が相手だからです。しかし最近登場したアルジャジーラの英語ニュースチャンネルは、BBCに似た公正報道という流れの中にあるように思えます。
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 ヨーロッパでは国境を超える衛星放送の進展の中で、1989年のベルリンの壁崩壊が起き、次々に旧東欧諸国が民主主義体制に変換した。バーンズ助教授の話を聞きながらいつの日か中東でも新しい変革の波が起きる可能性があると私は思った。

 注
 前号で紹介したイラクの「SANA」TVは5月10日から放送を開始した。スタジオはロンドンとバグダッドに5ヶ所。ロンドン経由で東経13度の衛星Hot Bird 8に接続、中東とヨーロッパに電波を送っている。日本ではイラク平和テレビ局in Japanの名でインターネット経由、有料視聴できる。なお「SANA」はアラブ語で光りという意味だと説明されている。


中東の主要な衛星テレビ ★は比較的よく見られ、人気のあるもの
UAEアラブ首長国連邦
MBC (Middle East Broadcasting Center)★ スポーツ、報道、子供、サウジと合弁
アルアラビア★ 24時間ニュース
CNBCアラビア 米CNBC、アラブ向け経済ニュース
アラビアン・トラベル 観光
エジプト
ERTU(Egypt Radio Television Union) 国営国際放送
ESC(Egypt Space Channel)★ 娯楽総合編成
ナイルTV★ 24時間ニュース
イラク
アルシャルキア★ 商業放送、報道、娯楽
アルスマリア★ 商業放送、娯楽(レバノンから発信)
アルディヤール 女性向け
バグダッド衛星チャンネル スンニ派系
カタール
アルジャジーラ★ 24時間ニュース報道、アラブ語
AJE(Al Jazeera English) 24時間報道、英語
アルジャジーラスポーツ★ スポーツ
アルジャジーラライブ 集会、会合の生中継、カタール版C-Span
アルジャジーラチルドレン 子供番組
QSC( Qatar Satellite Channel) 総合編成
サウジアラビア
アルアラビア★ 24時間ニュース
アルマジッド(Al Majid Space Channel) 宗教放送
ART(Arab Radio TV Network) 報道、文化、スポーツの3チャンネル
MBC(Middle East Broadcasting Center)★ 総合編成、
オービット★ 映画
Rotana★ 音楽チャンネル
ヨルダン
JSC(Jordan Satellite Channel) 国営放送国際放送
レバノン
アルマナル ヒズボラTV
LBCインターナショナル 公共放送国際放送
フューチャーTV 情報番組
イラン
IRIB 国営テレビ国際放送
アルアラム 海外向けニュース
ジャメ・ジャム 文化、ニュース、娯楽3チャンネル
アルカワサール 宗教放送
イスラエル
IBA3  公共テレビ国際放送


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2007年12月27日

見た!聴いた! 中東テレビ事情 その1 イラクのテレビ、市民の心捉えた民放娯楽番組

見た!聴いた! 中東テレビ事情 その1
イラクのテレビ、市民の心捉えた民放娯楽番組

 この記事は2007年7月7日発刊の隔月間誌「放送レポート」207号(メディア総合研究所)に掲載されたものの再録である。

今年1月私はドバイ、カイロなど中東を旅した。この二つの都市は中東全域での衛星テレビのセンターでもある。残念ながらバグダッドに行くわけにはいかなかったが、アラブのテレビ事情を調べながら、果たしてイラクではテレビはどうなっているのかに思いをめぐらせ、放送関係者に話を聞き、さまざまな資料を集め、このレポートを書いた。カイロ滞在中、ホテルや友人宅で衛星テレビが放送しているおよそ300を越えるたくさんのアラブ系のチャンネルに接することができた。その中にはイラクで放送されている番組も見ることができたのは幸いだった。今回の第一部でイラクのテレビを、次号の第二部では中東全体を見る。

イラク平和テレビ開局目前
5月イラクでイラク平和テレビ(IFC-SANAテレビ)という新しい衛星チャンネルが開局を目前にしている。
このことを知ったのは、私がかかわっているコミュニティーラジオ京都三条ラジオカフェの「がんばれイラク市民ラジオ」というミニ番組だった。全盲の青年河内屋収さんが、イラクの市民の復興を助けようと点字の取材メモを片手に3年前からはじめた番組だ。最初はイラク戦直後のバグダッドに市民ラジオ局を作ろう、それを支援する運動を日本で広めたいということだったが、今では番組名はそのまま、イラクに市民の手による平和テレビ局を作ろうというスローガンに変わった。
テレビ局開設の準備を進めているのは無党派の民間団体「イラク自由会議」(IFC)という組織だ。IFCの呼びかけでテレビ局開設の資金を集めようという日本の民間団体の運動が起こり、2007年2月までに4000万円を集めた。ほとんどはイラク市民を支援する日本の平和活動家たちが進めたカンパ活動によるだ。
今年1月13日、最初の放送の映像を披露するというので、京都の「イラク平和テレビ募金委員会」の会合に出かけていったが残念なことに番組視聴は中止になった。バグダッドの状況が極端に悪化、夜間外出禁止令が出ている。取材ができない、放送局のスタッフが事務所兼スタジオになっているビルに出入りできない、放送開始はしばらく延期する、とのことであった。
それから4ヶ月たった今年5月2日、来日したIFCの議長、サミール・アディル氏が記者会見でイラク平和テレビ開設したと発表、近く放送を始めると語った。サミール議長はさらに「イラクのテレビ局のほとんどが、分断をあおっている。われわれのテレビは米国の占領のひどい実態を暴き、宗派抗争とテロに立ち向かう放送をしたい」と述べた。
使用する衛星は軌道東経17度に位置するヨーロッパ系のホットバード8、そのトランスポンダー14から当面一日二時間分の番組を三回繰り返して放送、ゆくゆくは24時間包装にしてゆくとのことである。
イラク国内はもとより、南ヨーロッパや中東全域で視聴することができるが、日本向けにはインターネット配信が計画されている。イラク平和テレビ募金日本委員会ではインターネットでの番組視聴会員や、日本語版制作協力会員を募集している。
フセイン崩壊後急増したイラクメディアは2006年に入ってから宗派のイデオロギーを明確に打ち出すようになり、それぞれ敵対する宗派、グループによってメディアの幹部や記者、レポーター、アナウンサーなどが襲撃の対象にすらなる状況が起きている。
 「イラク自由会議」によるサナテレビは「宗派間の抗争には組さない報道」を行うと宣言しているが、そうした主張自体がテロの対象になりはしないかと危惧を抱く。

壊滅したフセインのイラク国営放送
フセイン時代イラクには国営放送のテレビが3チャンネルの放送をしているだけだった。衛星放送の受信は厳重に制限され、アンテナが見つかれば逮捕された。情報相の厳重な統制、検閲のもとフセインの演説のための道具となり、「テレビを見たければ、画面にフセインの肖像写真を貼り付けておけばいい」というジョークすらあったほどである。
イラク戦のさなか、アメリカ軍がバグダットに突入した映像が全世界に流されているというのに、イラクのサハフ情報相はテレビカメラの前で「米軍のバグダッド進攻の映像はハリウッド映画と同じようにすべて作られたものだ」語り、その映像もまた世界中に配信された。
イラク戦の終盤2003年3月26日アメリカ空軍はイラク国営テレビの局舎をトマホークが空爆したと発表した。アメリカ軍はテレビ局が軍事的目的で利用されたからだと釈明、一部には新型電磁波爆弾で通信回線をかく乱したとも伝えられたが真偽は確認されていない。放送は激しいノイズ音とともに電波が中断した。その後もバンカー・バスターによる攻撃は続き、放送施設は完全に破壊され、国営放送は沈黙した。
2003年4月21日、瓦礫と化したイラク国営放送に足を踏み入れた日本テレビ水島記者は政治報道部に隣接するアナウンス室跡で一片の紙切れを見つけ出しレポートした。それは開戦当日のフセインのテレビ演説原稿とその前後のコメントであった。しかもサハフ情報相の手書きである。国営放送のアナウンサーはファックスで送られて来た情報省の原稿や声明を読み上げるだけだったのだ。テレビ演説するフセインの映像自体も大統領警護隊が収録して国営テレビに送ってきた。瓦礫の中のファックスはイラク国営テレビが完全に情報省の支配化にあったことを如実に物語るものであった。
バグダッドが陥落した翌日、アメリカは通信施設を搭載した放送専用機コマンド・ソロを使って空飛ぶ放送局を開局、地上への放送を開始した。第一声はイギリス、ブレアー首相とアメリカ、ブッシュ大統領による「フセイン政権は崩壊し、抑圧の時代は終わった」とするイラク国民へのメッセージであった。テレビはチャンネル3、FM100.4、AM6.19での放送であり、航空機は11本のアンテナを搭載していた。
この放送は直前まで米軍第4心理作戦本部がイラク兵に投降を呼びかけていた「コマンド・ソロ作戦」を引き継いだものである。

 アメリカの手で再開された国営テレビ、林立する衛星テレビ
 2003年5月、地上戦闘が終結し占領体制に入ったイラクではアメリカを主体とする暫定行政当局CPAの主導の下、新聞、ラジオ、テレビを統括するIMN( イラクメディアネットワーク)が誕生、テレビの分野では、IMNの一部門としてアル・イラキーア(イラクテレビ)が放送を開始した。第一チャンネルはニュースを含む総合放送、第二チャンネルは文化教養放送であった。事実上の国営放送の再開である。
新しいテレビ局設立の経費は、アメリカ政府が拠出するイラク復興資金の中から出たことは言うまでもない。国内のテレビ開設資金2400万ドルはそっくりアメリカ政府が負担したが、後にアメリカ企業への放送施設発注入札が賄賂を伴ったものだったとしてスキャンダルになった。そして2004年6月、IMN全体の管轄はイラク暫定政権に移行した。
 こうした状況の中でおびただしい量で流入したのが衛星放送である。フセイン時代はアンテナで衛星を見ていることがわかると6ヵ月以上投獄される有様だったことへの反動で、人々は争って衛星用のパラボラアンテナを購入した。戦闘終結後3ヶ月で600万セットの衛星アンテナが飛ぶように売れという国連の推計がある。
最初に人々の目に触れたのは、アルアラビア、MBC(アラブ首長国連邦)、アルジャジーラ、アルジャジーラ・スポーツ(カタール)、ヘイヤ(レバノン、女性チャンネル)、Rotana(サウジ音楽放送)などイラク以外のアラブ諸国の衛星チャンネルであった。衛星ブームに乗ってイラク国内でも国営アル・イラキーアが衛星放送を始めたのに続き、イラク初の民放局アル・シャルキーアも登場した。更にクイズ、コミックなど娯楽中心のアル・スマリア、生活情報中心のアル・ディヤール、エジプト資本をバックにした総合編成の民放アル・ナハーレンなどが次々に開局、2004年には30チャンネル以上となった。
 地上波ではフセイン時代地下ラジオ放送をしていた政治勢力がいっせいにテレビ放送を始めた。イスラムダワ党系のアル・マサール、クルドのフッリーア・テレビ(愛国同盟系)、クルディスタン・テレビ(クルド民主党系)、イラク・イスラム革命最高評議会のアル・フラート、イラン国境からの越境電波であったアル・アラムなどである。
アル・イラキーアは国営放送に代わるものと受け止められた。当初は暫定政府の広報のほかレバノンやエジプトから購入した外国番組も数多く放送した。番組の背景音楽に欧米の音楽が流れることもあり市民の支持もイマイチ。たとえばモスクの映像にかぶさるアメリカ音楽はイスラム教への冒涜になると嫌われる場合もあったという。
初期のアル・イラキーアはフセインの息子ウダイが宮殿に残していた3000本のVHSテープを放送に使用したということだ。そのほとんどはアメリカ製のマンガやハリウッド映画であった。アル・イラキーアの番組は、正規の政権が誕生、放送の実権がIMNの手からイラク人スタッフの手に移るまで、アメリカの宣伝放送、カイライ放送と見られ、きわめて不人気でありイラク市民の支持を得ることがほとんどなかった。

娯楽番組への渇望
イラクで今人気を得ているのは広告を財源とするアル・シャルキーアとアル・スマリアの二つの衛星民間放送である。
イギリスの民放局ITNが2006年に制作したドキュメンタリー「笑いと涙がイラクを救う、テレビの力」という番組を見る機会があった。イラクの人々の心を捉えた娯楽番組と市民の反応を取材したものである。ITNはイラクのテレビ事情を次のようにレポートした。
「20年にわたって軍歌と愛国心高揚が強調されるサダムお抱えテレビが消えた後、2004年にアル・シャルキーアやアル・スマリアという民放の娯楽放送が始まり、人々は感動した。娯楽番組への憧れ、渇望から衛星アンテナは飛ぶように売れ、外出もままならない日常生活の中、人々は夜になるとテレビを囲む暮らしが始まった。イラクスターというイラク民謡を唄うのど自慢は抜群の視聴率を誇っている、俳優たちは自爆テロ、検問、道路封鎖を乗り越えてロケ現場に行く。マジェド・ヤシンという人気コメディアンが道行く人を捕まえて問題を出すごくシンプルなクイズ番組もあり、正解すればその場で賞品がもらえる。バグダットのサンタクロースとしてこの町の中で知らない人はいない・・・・。」
「国営放送の元アナウンサーだったシャイマ・ズビアは衛星放送の登場で一躍人気タレントになった。彼女は住宅リフォーム番組(Labor and Material)を司会している。爆弾で破壊された住宅を一軒一軒訪れて、見放されて途方にくれた住民を助けて住宅を元通りに作り直す。彼女は暴力が横行しているサドルシティーにも憶さないで出かけてゆく・・・・」。
イギリス、アメリカで盛んなリアリティー番組の手法だが、イラクの現状を鋭く告発する視点、荒廃と混乱の中に生きる市民への暖かい視点で生かされていると私は思った。
このところ視聴率ナンバーワンを誇っているのは、もう一つの衛星民放アル・スマリアの「イラク・スター」である。いわばタレント登龍番組であるが、原型は英米で大ヒットしている「アメリカン・アイドル」と「イギリスポップアイドル」だ。出演者がイラクの民謡、歌謡曲を競いケイタイメールで視聴者が優勝者を決める。バグダッドで勝ち抜くと中東全域から優勝者が集まるベイルートの本選に出場する権利を手にすることが出来る。視聴率は常に60%以上だと聞いた。
これまでにイラク政府が放送免許を与えたテレビ、ラジオ局はおよそ100局に及ぶ。しかし皮肉なことに言論表現の自由を得た放送メディアは政治や社会をいっせいに諷刺し始めた。人気の高いのはコメディアン、マジェド・ヤシンの「カリカテーラ」、庶民の中に入り込み、やさしいクイズと賞品で人々の心をつかむとともに、イラクの政治家をジョークで笑いのめす。しかし、シーア派の政府、政治家への批判は視聴者の一部の反感を買うという綱渡りもあるのだという。ラジオでは視聴者がコールインで次々にジョークを披露しあうという毎日夕方の放送「マタータ」(マハバラジオ)が人気だと聞いた。
他にも占い番組「ハイタワー」、「人々の夢」、警官が主人公のアクション番組「コブラ」、などがある。「コブラ」は一エピソード700ドルの制作費をかけるが、これはイラクのテレビ番組では破格の金額だとも聞いた。アル・スマリアの専務、ジェーン・クロード・ボウロスは「テレビはイラクにとっては魔法の世界のようなものだ。夢を与え、そして大衆とつながることでビジネスとして成功する」と語った。

イラクのマードックと商業放送の成功
衛星娯楽チャンネル、アル・シャルキーアを成功に導いたのはイラクの大物ビジネスマン、サード・バザズ(Saad Bazzaz)である。しばしばイラクのマードックとも言われる。衛星ビジネスには3000万ドルを投じたのに加え、イラクでは発行部数トップの新聞アザマン・デイリーやアザマン・スポーツデイリーを所有、月刊雑誌も持っている。
イラクが混乱の中にあるからこそ、人々はテレビの娯楽番組で一ときの安らぎを手にし、情報を追い求める。バザスは欧米からやってきた広告会社やスポンサーに説得に成功したようだ。ケイタイのノキア、飲み物のペプシ、洗剤のパーシル、衛星アンテナ、フィリップスの家電製品、各種のパソコンなど広告が画面に登場し、生活の必需品として市民が買い求める、という現実があるのだ。
サッチ・アンド・サッチ、BBDO、グレイ、ワールドワイド、スターコムなどの多国籍広告会社がイラクで、中東で活発なビジネス展開をしているという事実も背景にある。アメリカやイギリスのヒット番組のコンセプトやフォーマットを持ち込んだのもこうした欧米系の広告、PR資本であった。
もう一つの衛星民放アル・スマリアの資金源はレバノン資本だという。潤沢な資金、豊富な番組経験を持って、後発ながらアル・シャルキーアと激烈な視聴率競争を繰り広げている。イラク国内制作の番組を売り物にしているが、衛星への接続はベイルートからだ。放送局もテロの標的になっているバグダッドでは安全性が保障されないからだ。現にこの放送局のスタッフの一人は走行中に自爆テロに巻き込まれて死亡、大きなニュースとなった。
大人気の娯楽チャンネルを現実逃避だと責める意見もあり、宗教指導者など保守は娯楽番組に否定的である。しかし日々繰り返される爆弾テロや、武装組織との戦闘の中にあって、爆弾や血以外の慰めを求めようとする人々は毎晩テレビの前に座る。
(アル・シャルキーアは東方を意味し、アル・スマリアはメソポタミア南部の古代名であるという)。

イラク国内の主要地上波テレビ
アル・イラキーア
Al Iraqiyah イラク・メディア・ネット傘下の国営放送
シーア派政権寄り
アル・フラートテレビ
Al Frahto イラクイスラム革命最高評議会
シーア派、マリキ首相系
アル・サラームテレビ
Al Salam サドル派(シーア派)

アル・マサールテレビ
Al Masar ダフワ党(マリキ首相所属)
シーア派
バグダットテレビ
Bagdad TV イラク・イスラム党
スンニ派
アル・バビルテレビ
Al Babil イラク国民対話戦線
スンニ派
アル・ザウラーテレビ
Al Zawraa 元祖国防衛隊司令官(国境外からの放送)
スンニ派武装勢力
クルディスタンテレビ
Kurdistan TV クルド民主党
クルド
フッリーヤ(自由)テレビ
Furiyah TV クルド愛国党
クルド

イラク国内向け主要衛星放送
アル・シャルキアテレビ
Al Sharqiya 商業民放、娯楽(旧バース党系)
旧バース党系、中立
アル・スマリア
Al Smariyah 衛星民放、報道、娯楽
中立(本部ベイルート)
アル・ファイハ
Al Fayhaa 衛星民放、娯楽
中立
アル・ナハーレン
Al Nahrain エジプト資本
中立
アラ・フッラ
Al Hurra アメリカ政府の衛星ニュース放送
アメリカ寄り
アル・ディヤール
Al Diyar 報道、生活情報
無党派
サンラテレビ(準備中)
Sanra TV イラク自由会議
無党派

喜劇が悲劇に転じる、暗殺された制作局長
娯楽テレビをめぐって悲劇が起きた。国営テレビ娯楽番組の責任者が殺害されたのだ。
2006年3月アメリカのニュース番組ABCナイトラインの特派記者、ジェイク・タッパーはイラクに入った。国営アル・イラキーアが4月からはじめるコメディー新番組を取材するためであった。憲法改正によって占領下の暫定政府から正式政権への移管が迫っていた時期である。しかし議会が発足したにもかかわらず首相選出は紛糾し、宗派対立が激化し、米軍へのテロが拡大する一方であった。
この事態に苛立ったアメリカブッシュ大統領は「悪いニューが次々伝えられるが、それは敵の思うツボだ」とメディアを批判した。そこでABCはイラク市民生活の明るい側面を紹介しようと国営アル・イラキーアの新番組「僕とレイラ」というコメディーの制作風景を取材することになった。娯楽番組でアル・シャルキーアの後塵を拝しているアル・イラキーアは、イラクのダニー・デビードといわれるコメディアン、オーデー・アブダル・サタールを起用して巻き返しを図ったというわけだ。
バグダッド市内でロケは順調に進行していた。とそこへ思わぬ悲報が届いた。番組のプロデューサーであるアムジャド・ハミド制作局長が出勤途上暗殺されたのだ。制作は中止され、葬儀の日アル・イラキーアは放送画面の左上に黒い喪章をつけて弔意を表した。そして明るいニュースを送るはずだったABCジェイク・タッパーは2006年3月22日のナイトラインでこの一部始終をレポートしたのだった。
今、イラクのテレビもまた党派対立の渦中にある。
国営テレビアル・イラキーアのフセイン大統領処刑のニュースはアラブ世界に複雑な反応をもたらした。処刑の瞬間を流しただけではなく、このニュースをまるでお祭り騒ぎのように報道したからだ。真っ赤なサンタクロースの服を着たコメディアンのようなレポーターが街に出て処刑を歓迎する市民の声を伝えた。スンニ派のテレビであるバグダッドテレビは映像なしで処刑のニュースを読み上げただけだった。このバグダッドテレビは、国営テレビがほとんど取り上げないスンニ派地区でのテロ攻撃被害者の取材に積極的だ。
 もともと相異なる党派の手で次々に開局したイラクのテレビだが、2005年12月の議会選挙、それに続く2006年5月のマリキ政権樹立を境にして、テレビの宗派対立は激化した。国営アル・イラキーアは「民族や宗派による憎しみや暴力をあおる放送はしない」とガイドラインを設け、「テロリストにいる場所はない、イラクは生きる」というキャンペーン広告を流しているが、前述のようにアルキーアの編成幹部などまでがテロの犠牲になった。
 アメリカのジャーナリスト保護団体CPJによるとイラク戦争開始以来今までに殺害されたジャーナリストは104人。中でもイラクのジャーナリストが最も多く82人に達するがテレビではアル・イラキーア13人、バグダッドTV5人、クルディスタンTV4人などが攻撃の標的となって命を落とした。
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2007年12月09日

メディアの現在と近未来

 メディアの現在と近未来
 これは2007年6月11日全建総連東京土建33回幹部学校、メディア分科会で行った講演の元原稿である。会場は伊東温泉ホテル聚楽。(隅井孝雄)

 A メディアの役割は何か
 近代新聞の創始者ピュリツァーの信条
 新聞は19世紀終わりに登場したニューメディアだった。
新しいメディアの特質は大量印刷、大量配布、庶民のためのマスメディアであり、権力者の伝達メディアではない。
 だから、上意下達ではなく事実を調べて書くことの重要性が強調された。権力の腐敗、不正を断固追及すること、庶民の身近な話題を取り上げること、マチネタ、スターや英雄、を取り上げて人間の営みを赤裸々に伝えることなどが重視された。
 近代新聞の創始者ピュリツァーはセントルイスポストに残した社訓で次のように言っている。
 「やさしく書け、人々の興味をそそることを書け、正確に書け、たくさんの人に読んでもらえ。腐敗、不正に断固立ち向かえ。そうすれば発行部数も増える」。
 「常に貧しきものへの同情を忘れることなく、常に公共の略奪者に反対し、常に厳正なる独立を守り、不正を攻撃するにいささかも恐れるものではない」。
 「だが難しいのは、新聞が奔流のように走り出すのをいかに抑制し、誠実さと正確さを基本とする新聞の本質を保持することである」。

 敗戦を迎えた朝日新聞の宣言
 日本では近代新聞が育ちにくい条件に取り囲まれていた。思想、信条、言論の自由を踏みにじる治安維持法が大きな足かせとなり、次第に権力の御用機関に変質、とりわけ第二次大戦中は政府と軍部の広報宣伝を担うようになった。
 そして敗戦とともに、民主主義に資することを目的とし、国民の側に立つことを宣言した。
敗戦を迎えた朝日新聞は以下のように宣言している。8/23/1945
 「開戦より戦争中を通じ、真実の報道、厳正なる批判の重責を十分に果たし得ず、また、この制約打破に微力、ついに敗戦にいたり、国民をして事態の進展に無知なるまま今日の窮境に陥らしめた罪を天下に謝せんがためである。今後の朝日新聞社は常に国民とともに立ちその声を声とするであろう。いまや狂瀾怒涛の秋、日本民主主義の確立途上来るべき諸々の困難に対し、朝日新聞はあくまで国民の機関たることをここに宣言するものである」
 「国民と共に起たん」と題したこの宣言の精神は、現在の新聞に生きているであろうか。

 虚偽情報が戦争を生んだ、イラク戦争の場合
 イラク戦争でアメリカのメディアもまた、戦争容認の好戦的世論を助長する役割を担った。しかし2004年から2005年にかけてメディアが自らの記事を検証し改めて自省する動きが強まり、それがアメリカ市民のイラク戦争に反対する動きを加速させることになった。その口火を切ったワシントンポストの検証記事は以下のようなものであった。
 ワシントンポストの検証記事。5/30/2004
 「イラク攻撃の直前の2003年3月17日、イラク大量破壊兵器が存在するという情報に疑問がある、という詳細な分析記事が提稿されたにもかかわらず、一面掲載を見送り、17面(国際面)にまわしたのは編集上の誤りであった」。「われわれは政権の動向に注目して記事にしたが、戦争を疑う意見や、政府の主張についての検証が一面の記事に足りなかった。それは私の(編集長)の責任だ」。
 ホワイトハウス密着取材のボブ・ウッドワードも、イラク開戦を決定した根拠となる情報が誤りであったことを3冊の本で明らかにした。
 イラク戦争にいち早く日本政府は賛成し、アメリカに協力することを表明した。その際日本の新聞は読売新聞が積極的賛成、朝日新聞など多くの新聞がやむをえないという論調を示した。しかし北海道新聞や高知新聞などは憲法や国際法上正当化出来ないという明確な意思を紙面で表明した。イラク戦争に賛成し、あるいは容認した日本の新聞は、イラクに大量破壊兵器が存在しないことが明確になったあと、自らの過ちを検証し、襟を糺す努力を行っていない。
 「国連のお墨付きのない戦争は国際法上正当化できない、イラク攻撃は国際社会をなったくさせる明確な大義名分がない」(北海道新聞)、「国連無視の武力行使に肩入れするのは、平和主義を掲げる憲法の精神に反する」(高知新聞)。
 「イラク攻撃はテロの芽は早めに摘んでしまおうという予防戦争だ」(朝日新聞)
 「武力行使の法的根拠はあるとする米英の主張には理がある」(読売新聞)

 憲法を軸にして日本の新聞を色分けすれば
 読売新聞は1994年、2000年、2004年の3回にわたって憲法改正試案を発表した。主たる主張は、権利に偏重しているので義務とのバランスをとる、自衛隊を自衛軍とし、軍の活動を国際的に広げるという2点である。
 産経新聞は9条の改正に論点を絞り、国家像を盛り込んだ自民党憲法草案前文が消えたのは残念と論評した。また日経新聞は、成熟した民主国家にふさわしい憲法を作るべきだとして、自民党新憲法案を評価した。
 これに対して朝日新聞、毎日新聞、東京新聞は9条と自衛隊海外派遣の問題を中心に現行憲法擁護の論陣を張っている。
 こうした全国紙を発行部数で見ると朝日、毎日合計1200万部、読売、日経、サンケイ合計1500万部でわずかに改憲派が有利に見える。
ところが地方紙では改憲派は北国新聞と静岡新聞の2紙のみ、2000万部のほとんどが憲法9条擁護を主張している。読者数で見ると護憲派が3分の2以上を占め、改憲派は3分の1を下回っているのだといえる。
 読売新聞は依然として9条の改正を主張しているが、世論が9条改正反対に傾きつつある状況に困惑の様子を見せている。そして一方では第二次世界大戦中の軍部、官僚、政治家、新聞の戦争責任を追及する姿勢に転じた。
 日本の国民の平和志向が背後にあるといえるのではないか。
 2007年4月6日の読売新聞世論調査では2005年に63%あった「改正したほうがいい」が2007年4月6日の調査では46%に下がった。「改正しない」は22%から39%に上昇している。9条第一項(戦争放棄)では「変えない」80%、「変える」4%、第二項(戦力、交戦権)では「変えない」54%、「変える」38%であり9条に関する世論は明らかに改憲に組しないといえよう。
「憲法9条の会」の地道な活動が広がったことに加え、イラク戦争の悲惨な実態が改憲反対の世論を強めているのではないか。

 B あるある大辞典のもたらしたもの
 どうして捏造が起きるのか、民放テレビの構造
 今の放送には視聴者からの批判的意見を無視して視聴率優先の番組作りにまい進するというおごりがあるのではないか。孫請け制作に人気番組を丸投げするという構造、東京一点集中で大阪制作が極度に少ないという現状が捏造事件の一因ともなっている。報道情報番組が極端に娯楽化していることにも番組での捏造が起きる原因の一つになっている。
 テレビのあり方、視聴者のあり方
 視聴者、市民の間に蔓延している飽食、極端な健康志向、何か一つ面白いことがあるといっせいに付和雷同し、一点集中の過熱現象がおきやすい社会構造にあることなども、テレビ番組の刺激的傾向を増幅させている。
 正確な情報と、面白さ、親しみやすさを両立させる力量をテレビが持つ必要がある。社会や生活の中の問題点を的確に指摘するアジェンダセッティングの機能をテレビが回復する必要もあるだろう。視聴者の関心を身の回りの小さな世界に閉じ込めず、世界全体の状況を絶えず伝える努力を行うことが放送に望まれる。
 強まる政府の規制に立ち向かえるか
 今回総務相が関西テレビに「警告書」を手渡し、関テレの社長は頭を下げ辞任した。政府がテレビ局の社長を首にしたわけだ。
 国が放送の内容について命令する、「命令放送」が政府によって実施され、従軍慰安婦や沖縄集団自決報道に圧力がかかる。放送法に行政処分を盛り込んで報道だけではなくバラエティー娯楽番組も処分の対象使用とする計画が進められている。サンジャポ街頭インタビューを政府が槍玉にあげ、NHKのニュースが松坂(ボストンレッドソックス)を取り上げすぎると閣僚が批判(4月6日)するなど権力的な介入が目に余るようになってきた。

 C NHKはどこへ行くのか、受信料はどうなるのか
 NHKは公共放送だという意味は
 NHKと民放との二元体制はそれなりに有用に機能していると見られる。ニュース、報道、災害、大衆娯楽の分野で民放にはできないことをNHKが担っている場合もある。NHKも民放も周波数という公共空間使用しているという意味では同じだが、NHKは財源を受信料としているという意味で視聴者、市民とのいっそうの深いつながりを持つ。
 不祥事、
2004年7月紅白のプロデューサーが6000万円以上の制作費を外部制作会社に支払い還流させた不祥事が明らかになった。これに対する海老沢会長ら経営陣の対応に不満が噴出、128万件の不払いが起きた。未納130万、滞納129万あわせると380万件が受信料を支払っていない。それに止まらずに未契約970万件がある。減収に加え未払い、不払いをどうするかが問題になり、NHKの改革が問題になった。
 一連の不祥事での減収440億円となったが最近。やや持ち直している。2007年の収入見込みは6130億円。関連企業、団体を入れると8000億円を超え、NHKはフジ、日テレ、TBSをあわせた規模の巨大メディアである。
 慰安婦
 2007年1月29日東京地裁は慰安婦問題で取材に協力した市民団体に慰謝料を支払うべきだという判決を出した。判決では次のように述べている。
 「制作に携わるもの(プロデューサー)の方針を離れ、(NHKの幹部が)国会議員などの発言を必要以上に重く受け止め、政治家の意図を忖度し、当たり障りないよう、番組を改編した」。
 命令放送
 一方政府はNHK短波ラジオに対し命令放送を発令した。2006年11月である。「国の重要な政策、国際問題についての政府の見解、北朝鮮による拉致問題に留意する」、というのがその内容である。
 2007年3月29日、今度はテレビ国際放送でも始めて拉致報道についての命令書を渡した。
 皆様のNHKになることができるのか。 
 NHKは視聴者の信頼感はかなり高いと見られる。しかし不払い、未納が多いのはなぜか。
 NHKはニュースの客観報道を標榜している。しかし結果的に政府、議会の動きを伝えることに力点がおかれ、批判、追求、風刺はしない。裏側を追わない。自主独立を標榜し、時に政府と真っ向から対決することもあるBBCに比べると生ぬるさが残る。
 報道の強化にプラスして、生活に密着した番組、独創的な番組の開発が望まれる。

 D. 自民党広報戦略
 小泉首相の劇場型演出
 小泉前首相は独特の個性、戦術的勘の鋭さ、アメリカ的広報戦略にならったメディアの活用などで、選挙で大勝し、高い支持率、人気を保って政権を全うした。郵政民営化問題で選挙に踏み切ったとき、夜8時に行われた記者会見のテレビ放送は最高25%、その勢いを借りて選挙のCMは同じ赤カーテンバック、同じブルーのネクタイ、チャコールグレー
の背広で再現することによって国民に首相の決意を鮮明に伝えることに成功した。
 テレビは小泉政治の武器だった。一日二回必ず短時間テレビカメラの目に立つ。サウンドバイトという短い20秒以内のフレーズは繰り返しテレビで流される。わかりやすい。飯島秘書官は新聞や、テレビの本格ニュースよりもワイドショーを重視した。テレビを3時
間以上見る人の支持率は75%にも達した。劇場型政治といわれるゆえんである。
 小泉はメールマガジンを勢い込んで売り込んだが、それほど効果を挙げなかった。途中で戦術を変更し、郵政選挙に際しては、著名なブロガーを集めて知恵を借り、売り込んだ。
結果的に小泉に好意的なブログ情報がインターネットに氾濫することになった。
 対中外交切り札の小泉戦略不発
 幹事長時代に小泉首相についで人気が高かった安部首相の人気が低落している。小泉郵政選挙のとき自民党広報本部長として鮮やかな采配を振るった自民党参議院議員世耕弘成を広報補佐官に起用して広報戦略を立てているが、その多くが不発である。中国との関係改善は広報戦略の目玉と位置づけられていることは就任直後の訪中、温家宝首相の招待などで明らかだ。一時支持率の向上が見られる局面もあり、広報戦略は成功したと見られた。しかし、もともと右翼的信条を持つ安部首相は、訪米前に「慰安婦問題に軍が強制的に関与したという事実はない」と発言、アメリカ議会の反発を誘発した。戦後の見直し、憲法改正という直球で勝負しようとする安部首相の姿勢と、やわらかく世論に訴え支持率を上げたいという小泉流広報戦術はそぐわないものになっている。
 改憲路線、靖国派路線、戦後見直し論を正面から打ち出した安倍政権。しかし古い自民党体質がある以上、小泉を引き継ぐ広報戦術は違和感を伴う。
 メディアの規制強める安倍戦略
 官邸のホームページには直接国民に訴えたいとする首相の意向で総理自らが登場する官邸テレビへのレギュラー出演が開始された。しかしメルマガ160万、ケイタイ15万と不人気を裏書している。何とか巻き返そうと図る政府は内閣の広報推進室にヤフーから出向したプロを入れた。彼はこれまでヤフーのトップページを作ってきたベテランである。果たして人気回復はなるだろうか。
 安部首相はメディアの頭越しに直接国民に働きかけようとする一方、NHKに対して拉致問題の命令法という荒業を使った。NHKの慰安婦問題では、番組内容に介入したことで知られる。加えて受信料問題に絡めてNHKコントロールに意欲を見せているし、民放に対しては関テレの虚偽報道をきっかけに、放送法を改正し、番組に関与する方向に進んでいる。
 メディアの協力を得るという広報手法と、手綱を締めてコントロールしようという二面作戦は今のところ歯車がかみ合っているとはいえない。

 E. 新しいメディアの台頭と情報社会の変化
デジタルメディアの特質、そのすばらしさと危うさ
 2003年ごろからアメリカで新しい情報手段、ブログが急激に発展した。
 経済ニュース、ITニュース、政治のニュースなどの専門ブログが特ダネ連発するようになった。同じころイラク戦争が始まり、バグダッドの青年のブログ、サラムパックスや戦場の兵士によるウォーブログが注目された。
2004年の大統領選ではテレビアンカーがブログの攻勢で誤りを認め、辞任に追い込まれた。既成大メディアの敗北である。
 サーチエンジンによるニュース提供も盛んだ。グーグルは80億のホームページとつながり、ニュースを自動的に新聞などのソースから拾い出し、項目ごとにアレンジし、ランク付けすることで人気を得た。最近ではユーチューブなどの映像サイトも加わった。
 インターネットは新聞やテレビに取って代わるのか
しかしメディアの本流は依然としてテレビ、ラジオ、新聞である。既存メディアがインターネットと連動して、たとえば朝日コム、毎日MSN、テレビのワンセグなどを展開、付加価値を改めて高めつつある時代だ。主導権は依然既成大メディアが握っている。
 9年前にできた検索サイトグーグル。世界中のありとあらゆる情報を検索できることを目指している。グーグルの情報のランキング上位の企業は売り上げも伸びる。ラリー・ページとサーゲイ・グリンという大学生が開発した。クノーラーというプログラムで情報を集め、アルゴリズム(自動計算式)でランク付けする。そのためある特定のニュースを検索すると重要なもの、読まれているもの、引用が多いものが上から順番にまとめて出てくる。これにより人々の情報へのアクセス方法が根本的に変わった。
 しかし情報が国家権力に検閲される危険性も現実に存在している。つまりある特定の用語が含まれているものを排除できることから、中国政府はグーグルに天安門や法輪功のブラックアウトを命じた。グーグルは削除の要求に応じて中国への進出を果たした経緯がある。これをめぐってグーグルはアメリカ議会で集中砲火を浴びた。
なぜフリーペーパーが隆盛なのか
 新聞の部数が激減しているが、それに変わってフリーペーパーが活況を呈している。もともとフリーペーパーはヨーロッパや韓国で波が起きた。日本では2004年以降、カドナビ、ピア、ホットペッパー、ハッピーノート、R25、メトロミニッツ、メトロポリターナなどが若者相手に広がっている。新聞形式855誌、雑誌形式283誌。総発行部数は2億2600万
部の2000億円のマーケットである。
 読者を内容、地域で特定している、つまり目的がはっきりしているのが特徴になっている。直接購買にも結びつく。日常生活や要求に密接に結びついている。人々の手に渡るために、DM形式、人の集まる地下鉄改札口、飲食店、銀行などの目立つところにラックが置いてあるか、こえかけして手渡しする。メトロ系のフリーペーパーは、情報空白時間である通勤、退勤時のビジネスマン,OLを狙った。内容も本格的雑誌と変わらない高級イメージのものが増えた。R25はターゲットを捕まえるためコーヒースタンドを設けた。読ませる記事が売り物だが、ひとつの記事は800字に抑えた。
 労組や団体による機関紙のノウハウと同じノウハウを持ったメディアである。歴史は機関紙のほうが古いが・・。
 フリーペーパーが次第に力を持ち始めていることに注目すべきではないか。


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2007年12月07日

変動と変革の中にある世界、どうなる、どうする孤立する日本

 変動と変革の中にある世界、どうなる、どうする孤立する日本

これは2007年2月24日、京都府職員退職者の会で行った講演の要旨である。
場所は京都堀川下長者町のホテル、ルビノ堀川。

 1.9.11体制とアメリカ一国支配の崩壊
 2006年11月、アメリカの中間選挙で民主党が下院で圧勝、上院でも一議席差であるが民主党が競り勝った。この結果これまで共和党が支配していたアメリカ議会は民主党の支配に移った。アメリカが2001年の同時多発テロ以来続けてきた国際戦略、いわゆる9.11体制は事実上崩壊した。
 イラクでは依然として武装グループとの激しい戦闘が続き、テロ攻撃が続発して、平和は戻ってきていない。ブッシュ政権は多数のアメリカ国民の願いに反してイラクにさらに米軍を増派、戦闘を継続している。しかし9.11を契機にしてアメリカが推進した超大国による世界支配の戦略は終焉の時を迎えた。
 アメリカと行動をともにしてきたイギリスのブレアー政権すらイラクからの撤兵を開始することが2月20日明らかになった。同じようにブッシュに全面協力して軍隊を送ったイタリアでもベルルスコーニ元首相が退陣、イラク派兵に反対していた中道左派のブロディー首相が誕生、3000人に上っていたイタリア軍は2006年12月までにすべて撤退した。
 フランスやドイツは開戦時からアメリカのイラク攻撃に反対していた
 1989年11月ベルリンの壁崩壊、1991年12月ソビエトが崩壊して1950年代以来の冷戦が崩壊した。世界はつかの間の平和を享受したのだった。そして誰もが輝かしい21世紀の扉が開くと希望に胸を膨らませた。しかし2001年9月11日、ニューヨークの貿易センタービルとワシントンDCの国防総省ビルにハイジャックされた航空機が突っ込み、歴史は暗転した。「これは戦争だ」と叫ぶブッシュ大統領のもと、10月7日アメリカはアフガニスタンを空爆、12月タリバン政権が崩壊した。2002年12月、カルザイ政権発足したが、それに飽き足りないアメリカは2003年3月イラク戦に突入、フセイン政権が崩壊し、2006年5月イランに新しい政権(マリキ首相)が発足した。しかしイラクは安定化に進むどころか宗派対立とテロ攻撃は激化し、アフガニスタンでもアルカイダによるテロ攻撃が再び激しさを増している。
 仮にアメリカ軍がイラクから撤退したにしても傷が残る、平和が回復する保証はない。
 政治や軍事面でアメリカの一極支配は崩壊の一途をたどっている。しかし世界の不安定要素は拡大している中、中東に平和を取り戻す新しい国際協調が必要である。
 親米のエジプトやサウジアラビアはもとよりアメリカが敵視しているシリアやイランの協力も必要である。激しく敵対しているイスラエルとパレスティナが共存する新しい枠組みをなんとしても見出さなければならないだろう。イラクの安定はそのような中東全体の平和回復の道筋の中で実現するだろう。

 2. 世界は大きく変化している
 ヨーロッパ
 EUは2004年に東欧8カ国を含む10ヶ国が加入して東西ヨーロッパを統合した25カ国一大経済圏となった。今回1月1日さらにブルガリアとルーマニアを加えたことにより、人口5億9000万、国内総生産13兆ドル。27カ国。ついに黒海に達した。ナチス登場イライ70年にわたった東西分断の歴史が終わった。人口でアメリカを上回り、GDPでもアメリカと肩を並べた。日本のGDPの4.5倍となる。新しい勢力として世界に大きな影響力を持つ。

 インド 
 8%の経済成長が続く。IT市場300億ドル。頭脳集約型のハイテク産業が雇用を安定させている。ケイタイも月5000万人が加入、1億3000万人を昨年越えた。2010年には5億人に達する。毎年6000万人が中間層の仲間入り、いまや人口の半分4億人が中間層に。毎年フランスの人口と同じ中間層が出来る計算だ。オートバイや自動車が売れる、大型モールが出来る。貧困問題があるものの消費社会にまっしぐら。

 中国
 中国のマーケットに東南アジアが乗り込んできている。一方中国もアセアン諸国に進出。10カ国経済協力の枠組みを作っている。巨大な経済圏が登場したことになる。域内の18億の人口は北米の5倍近くとなる。
特にベトナム、ラオス、カンボジアなど新しいAEAN加盟国の経済発展と連動する可能性が注目される。中国はインドとも接近、経済統合がすすみ、巨大な中産階級が出現しつつある。
現在ではGDPではインド、中国ともアメリカ、日本を下回っているが2015年には両国をあわせればアメリカと肩を並べると見られる。

 ロシア
 いま石油高騰で景気が良い。経済好調。GDP7%台。 
2月11日プーチン大統領は中東の親米派といわれたサウジ、カタール、ヨルダンを訪れた。イラクの混乱状態を作り出して、中東で影響力を失いつつあるアメリカを横目に、中東で力を伸ばし、産油国の同盟を形成する。また新興経済大国であるインド、中国とも提携して石油、天然ガス開発、IT市場、軍事協力、ロケット打ち上げの協力などを進める。
ロシアのGDPは9750億ドル、中国、インドと合わせると4兆ドルになる。

 3. 憲法改正にすすむ安部政権、果たして国際的支持は?
 安倍政権は集団自衛権の行使の可能性を追求する政権である。アメリカが攻撃されれば日本が支援するため自衛隊が出動し、戦闘に参加する。そのために憲法改正が必要だというのだ。
しかし自衛だけに徹底するのであれば憲法は改正しなくともいいという考えもある。改憲せず現行の自衛隊を維持しても違憲ではないという憲法解釈を主張する意見は以外の多い。

 憲法改正
 アメリカは憲法9条が日米同盟の邪魔になっていると見ている。自民党は新憲法草案(改正案ではないことに注意)を発表した。それによれば自衛軍が創設され、その日本軍は海外派兵による"国際貢献"なるものを主要な任務にする。9条一項を形だけ残し、二項を変えて軍事力の行使を是認する、つまり戦争する国になるのだ。
 現在審議中の投票法案では、争点は年齢20歳か18歳かという年齢の問題がある。また投票法の適用を憲法に限るのか各種の国民投票にも準用するのか、反対を×にするのか、無記入にするのか。棄権は賛成と見るのか反対と見るのか、投票率の最低を定めるかどうか、などである。宣伝活動は政党比率か、賛否平等か、意見広告是か非かなども大きな問題をはらむ。投票法の自民党案だと、改正賛成が有利となり、投票法案の成立がそのまま憲法改正に直結する危険がある。教育者(大学教授も含む)や公務員は憲法についての意見表明が出来ない。それこそ憲法違反の投票法である。

 4. 世界の智恵が生んだ憲法9条
 現行憲法は占領軍の押し付けだといわれているが、事実は全く異なる。
 戦争放棄は国連憲章第二条に原文がある。また第一次大戦後のヨーロッパ不戦条約、フランス革命後の1791年共和国憲法がある(ナポレオンとヒトラーによって踏みにじられたが)。戦後のフランス共和国憲法を初め、イタリー、フィリピン、コスタリカなど13カ国に不戦の規定がある。
 日本国内でも、現行憲法の骨子となった「憲法問題研究会」の提言がGHQの草案にも盛り込まれ重要な役割を果した。

 5. 南極は非核、非軍事地帯、国際協力の実験場
 今年は南極観測50年だった。憲法9条は決して国際的に孤立はしていない。1959年12月1日ワイントンで署名、1961年6月公布された南極条約は、地球の憲法9条だといえよう。次のような骨子である。
 1. 平和目的のために利用する、軍事基地、軍事演習、兵器の実験は禁止する
 2. 観測結果の交換、自由な利用
 3. 核爆発、放射性廃棄物の処分の禁止
 4. ゴミはすべて持ち帰る

 6. 平和日本と国際的協力、イラクの教訓
 日本はアメリカに追従し。国際的に孤立している。
 サマワからは撤退したがイラクに海上自衛隊、航空自衛隊を派遣している。アメリカ海軍への給油活動も行っている。
 日米軍事同盟強化、一体化で日本はアメリカの前線基地としての性格をさらに強めた。
 北朝鮮の核兵器放棄の問題で被爆国としての役割を果たしていない。拉致問題のみに固執することで孤立化を招いている。
 中国市場に進出できていない。政治的な反発を受けているのに加えて、自動車産業中国進出の遅れ、ケイタイや通信機器の中国進出の遅れが著しい。自動車もドイツ車に大きく遅れをとっている。さらに成長著しいインドの市場も軽視し、無関心だった。
 日本は中東政策の遅れから、石油エネルギーの安定供給を確立できない。イラク派兵で、中東での信頼を低下させた。
 国際協調のための政策が不在である。移民、難民の受け入れに壁があり、国際的信頼を得ていないのに加え、労働力不足に対する政策がない。
 経済のインフラは回復しつつあり大企業は勢いを取り戻したが、その反面格差が増大し、雇用が低迷している。国民生活は圧迫されている。
 イラクの教訓
 軍事力では物事は全く解決しないということが誰の目にも明らかになった。戦闘に参加し命を失うのはごめんだ、アメリカとの同盟は必ずしも得ではない、危険だという世論が拡大している。日本は軍隊を送らない国だという信頼感が世界各地にあった。軍備と決別しても、日本は平和維持の役割はできる。ボスニア、カンボジア、東チモールなどでも大きな役割を果たした。思っている以上に日本ボランティアが世界中で活躍している。日本の経済援助も役立っている。
 新しい国際協調の枠組みを平和主義を前提にして組み立てる必要がある。

 



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2007年12月01日

ラジオの新しい展開、NPOコミュニティーメディアを考える

 この記事は同志社大学渡辺武達教授による京都新聞の寄付講座で京都大学コンソーシアムで開講された「メディア最前線を歩む」第7回に招かれた時の隅井の講義録である。2007年6月2日

 ラジオの新しい展開、NPOコミュニティーメディアを考える
 1.昔、ラジオは重要な基幹メディアだった
 今日は主としてラジオの話です。皆さんラジオ聞いていますか。ラジオはかつてメディアの中で、重要な基幹メディアとして活躍していた時期があります。また若者メディアとして時代の中で大きな影響力を発揮していたときもあります。日本ではラジオはマイナーだと思われていますが、アメリカ、イギリス、フランスはもとより、アフリカ、中南米、中国、東南アジア、その他世界各地では依然として重要なメディアで生活に密着、時には政治にも大きな影響力を発揮しています。
 日本のラジオはアメリカに5年遅れて1925年大正14年に始まりました。しかし公益法人とするという政府の指導の下、新しく生まれた放送協会は逓信省の管轄化におかれたばかりではなく、太平洋戦争時には軍部がラジオ報道を掌握、大本営発表という名の官製ニュースとして国民を誤った方向に導きました。
 しかし、一部軍部の反対を押し切って8月15日に放送された、昭和天皇の「ポツダム宣言受諾」のラジオ放送(天皇の特別な言葉という意味で玉音放送と呼ばれた)は、それまでアメリカに徹底抗戦を叫んでいた世論を一変させ、占領軍の日本進駐を平和裏に受け入れる基礎となりました。天皇の名の下に世界を敵に回した日本はこのラジオ放送の天皇の言葉で180度の転換を果たしたのは歴史の皮肉でもあるでしょう。
 戦後NHKは占領軍の指導下に再組織され、アメリカの望む民主主義を日本に定着させるためのメディアとしてNHKは大きな役割を果たします。しかし放送という強力なメディアが民主主義に有効に機能するためには民間の放送を開設して、競争原理を導入すべきだという動きがおきます。その背後には占領終了後をにらんだアメリカの考えがあったことから、アメリカ式の民間商業放送が日本に生まれます。ラジオでは1951年はじめての民間放送が名古屋、大阪、東京などに次々に民放が誕生、その2年後に開始されたテレビ放送もNHKと民放の二つのシステムが共存することになりました。
 ラジオはテレビ開始後もリーディングメディアとして活躍、ラジオ文化の華を咲かせますが、1965年ごろからテレビに主役の座を譲ります。しかしその後もパーソナルメディア若者メディアとして「オールナイトニッポン」、「セイ・ヤング」などでラジオファンの心を捉え、また阪神大震災など災害報道でも活躍を続けました。今日のテーマのコミュニティーラジオは、ラジオの新しい展開を意図して1992年に登場しました。今年で15年になります。
 戦後のラジオ放送のあり方を知るため、最近放送された報道ステーションのラジオについての特集をみましょう。
 
 2.問題あり!!! 放送メディアの仕組み、
 日本の放送メディアは基本的には全国メディアです。
NHKは全国単一の放送局であり、組織上は北海道、東北、関東、中部、近畿、中国、四国、九州の8ブロックにわける考えをしています。そしてほぼ都道府県ごとに放送局が置かれています。
 民放テレビは法律上ほぼ都道府県単位で設立された地域放送局だとされていますが、事実上東京、大阪を中心にした五つのネットワーク(日本テレビ系列、TBS/毎日放送系列、テレビ朝日/朝日放送系列、フジテレビ系列、テレビ東京系列)が整備されています。地方番組はローカルニュース、ローカルワイドなど報道系、情報系にほぼ限られています。なお東京、大阪のテレビ局のエリアは関東一円、近畿一円と広域であり、府県単位ではないため、神奈川、京都、神戸など一部に広域圏UHFという特殊なテレビ局が免許されています。
 ラジオの場合はテレビほどネットワークの機能が少なく都道府県単位のメディアだといってよいでしょう。しかし、AM局FM局ともに電波の到達可能エリア超えた範囲をエリアとしているため、無数の送信所の設置によって放送電波をつないでいます。
 以上でわかっていただけると思いますが、日本の放送では全国メディアと都道府県メディアはあっても、市町村を単位とするメディアが存在をしていません。経済用語では寡占状態にあるといえます。
たとえばアメリカには現在13,748のラジオ局があります。多くが市などの行政区が単位です。1つのエリアにたくさんあります。私の住んでいたマンハッタン(ニューヨーク市ではAM30局、FM45局のラジオが受信できました。
 京都の場合NHKの天気予報を見ると舞鶴、宮津、福知山、京丹後、南丹、美山、京都、京田辺などの8地区に分かれています。その8地区それぞれに数十のラジオ放送局があると思って見て下さい。
日本のラジオ局の数は全国であわせても101局(AM 46, FM 54, 短波1)です。京都のラジオはAM3、FM3です。(大阪の局も入れればAM7、FM6になりますが・・・)

 3.コミュニティーFM登場の背景
 コミュニティーFMの登場は1992年です。市民運動、消費者運動、環境保護運動の高まりとともに、市民の間でコミュニティーメディアの必要性が痛感されるようになる一方、政府の地方活性化政策とその核になる地域情報環境の整備が着目されるという背景の中で、政府の政策転換がありました。放送免許は前述のように県域免許を前提としていましたが規制緩和によって市町村単位の電波免許が可能となりました。この様な事情から当初は地方自治体が中心となった第三セクターとしてコミュニティーラジオが誕生しましたが、そのうち、純粋な民間資本も参加するようになりました。また2003年に始めてNPOという経営形態をとる局(京都コミュニティーFM)に対して総務省通信局が周波数割り当てを行ったのを契機にNPO局も増えつつあります。
 NPOが注目されたきっかけのひとつに、1996年に開局したFMわいわいがの存在をぬきにできません。1995年一月に発生した阪神淡路大震災の際、キリスト教会の一角にテントを張って放送が始まりました。マスコミでは伝えられない地域密着のさまざまな情報が発信されましたたが、中でも、英語はもとより、中国語、韓国語、スペイン語、ポルトガル語地などの多言語放送は、情報を知ることができない外国人に貴重な情報源となったのです。
 当初は無免許で始めましたが、監督官庁は黙認しただけではなく、積極的にこのミニ放送局の意義を認め、1年後には正規の免許を獲得することとなりました。当時はNPOに免許を出すという発想がなかったので、会社組織をとりましたが、活動はNPOそのものです。
 当初はコミュニティー放送の出力が1ワットと小さく、いわゆる市民無線のような存在でしたが、1995年10ワットに、1999年には20ワットに増力されました。それでも既存のラジオ電波と比べれば格段に弱いので(普通のFM民放は5キロワット)、このことがコミュニティーラジオが十分力を出せない原因になっています。通信局は既存ラジオの権益を保護するという考えが強いこともあり、コミュニティーラジオを小さく閉じ込めていると言えます。
 2007年5月2日現在コミュニティー放送の数は209局、最新の開局は奄美のディFM(NPO)です。うちNPO は9局あります。

 4.なぜNPOなの? 京都三条ラジオカフェの場合
 今から4年前2003年3月、京都三条に日本で始めてNPO( 非営利組織)が運営するコミュニティーラジオが誕生しました。京都コミュニティー放送(愛称京都三条ラジオカフェ)です。コミュニティー放送は政府から周波数の割り当てを受ける正規の放送事業であり、京都中心部での公共の電波の占有権を付与されているという意味で、公共放送としての性格を持っています。
 これまで電波の監督官庁である総務省はコミュニティーラジオであっても株式会社の形態をとり、コマーシャル収入で運営する商業民放型のものしか認めてきませんでした。
 ところが京都三条ラジオカフェの場合は市民の代表が会員として基金を拠出し、番組は市民が誰でも一分間3000円という放送使用料を払って自由に制作できる、そしてそれが収入源となるという、これまでになかった画期的な形態をとることとなりました。もちろんコマーシャル放送も受け入れていますから、市民が制作する番組を企業が支えるものもあるし、企業が公共性ある番組をスポンサーとして提供もすることもあります。つまり非営利公共放送と商業放送のハイブリッド型放送として運営されているわけです。
 京都には登録されたNPOは300以上あります。日本でももっとも活発なNPO都市だといえるでしょう。NPOとして届けを出していなくても活発に活動している民間団体の数は4000をくだらないといいます。さすが京都議定書を生んだ都だと感心させられます。
 京都三条ラジオカフェは設立に当たってNPO諸団体の支援を受けました。ラジオ局自体がNPOであるとともに、番組を制作して放送しているNPO組織、たとえば京都気候ネットワークなど全国的に知られた有力NPOが番組会員として名を連ねています。市民による市民のためのラジオ、NPOによるNPOのためのラジオでもあるのです。
 京都市は学生の町だということもラジオカフェには追い風になっています。市内に27の大学があり、人口147万人の一割、15万人の学生が京都市内と近郊にいます。番組制作のスタッフ、放送の送り出しのスタッフ、ニュースのアナウンサー、市民レポーターとして学生たちがボランティアで積極的に参加しているのです。単位も取れるインターンで運営に参加する学生もいます。また現在多くの大学のゼミなど学生グループが自主番組を制作、放送しています。
 京都の中心部、とりわけ三条通りや近接する姉小路通り、寺町通りは住民、会社、商店による町の活性化が盛んです。街づくりのための話し合いからコミュニティーラジオ放送局を作ろうという発想が出ました。ラジオにかかわる人々の多くが何らかの形で地域の住民グループに加わっています。地元ローカル局の京都放送KBSのスタッフが20年以上にわたって市民のための放送局を目指す運動を展開していた、その経験が積み重なっていた、という好条件にも恵まれていたのです。

 5.私がコミュニティーラジオの会員になったわけ
 2002年は、住民によるコミュニティーラジオ設立の運動がピークに達していたころでした。株式会社ではなく、住民の拠出による非営利の組織として旗揚げしようという、当時としては斬新なアイディアでしきりに総務省近畿通信局との交渉が行われていました。
 その少し前に京都に住むようになった私はある日、ラジオ局を街中に作る運動を促進するための集会のパネラーに呼ばれました。
 私は東京の日本テレビに40年ほど長年勤めていましたが、1986年から1999年までアメリカ、ニューヨークで仕事をしていました。その経験からアメリカのラジオの実情を語ってほしいという依頼でした。アメリカではラジオが多くの人々に聞かれ、愛される活性化したメディアです。集会のあとKBSで長年番組を作っていたプロデューサーで、長年の友人でもある町田寿二さん(現ラジオカフェ放送局長)に協力を頼まれました。
 私は日本テレビを退職し、京都学園大学の教授として大学でメディア文化について教えていました。その上私の京都の住まいはラジオカフェのスタジオと同じ三条通りでした。住んでいる地域に社会貢献できるまたとないチャンスだと思いました。私の経験も生かせます。大学の研究や教育にも生かせると思いました。
 私はラジオ設立に賛同して正会員としての会費10万円を払い、放送番組のプラン作りに参加し、理事会で副理事長に選出され主として番組編成に責任を持つ番組編成委員長としてかかわることとなったのです。

 6.市民との信頼あってこそ
 今ラジオカフェには10万円拠出した正会員が100人います。さらに一口50万円の債券も発行しました。これらの資金およそ2000万円がが、アンテナやスタジオの設備資金になり、小さな放送局が生まれました。
市民による番組は120本ほどあります。ボランティアで協力してくれる賛助会員が日常の放送送り出し、ミキサー、収録などを手伝ってくれます。
 放送局の専任スタッフはわずか4人。それでもやっていけるのはひとえにボランティア、番組会員として支えてくれる市民のおかげです。
売り上げは年間3000万円ほどしかないかの小さなラジオですが、収支トントン、赤字はありません。まさに非営利事業の典型です
放送に市民が自主参加して、自由に番組を作る。スポンサーがついている番組もありますがスポンサーに縛られることもないし、縛るスポンサーもいません。
 勝手に番組を作ったら、変な番組、偏った番組、売り込みの番組などが出てきて困ることはないかとしばしば聞かれます。しかし今のところ放送法にふれるような困った番組は皆無です。市民社会を信頼し、市民の責任で番組を作るという考えが浸透しているからに違いありません。節度を持った、まじめな番組、楽しい番組のオンパレードと言っていいのではないでしょうか。

 7.目指せ!!大学ラジオ、大学テレビ
 ラジオカフェの番組の中に大学生の番組会員が作る番組、大学のゼミの学生が作る番組があります。龍谷大学の「ラジオタックル」、帝塚山大学の「トラブルメーカー」、「同志社女子大「Viviラジオ」、京都女子大「みんなのラジオ」、立命館大学(津田ゼミ)「ぼらラジオ」、立命館大学(君島ゼミ)「Peace by Piece」、大学の垣根を越えて学生が集まった「日常から世界へ」などさまざまです。中には「安齋育郎のティータイムエッセイ」という大学教授が毎週語る番組もあります。ゼミで運営される番組に参加すれば大学の単位にもなると聞きました。
 そこで私は考えたのですが、大学生が主体になり、大学の構内から発信する大学ラジオという発想はどうでしょうか。大学が、あるいは大学生がラジオ局を作るのです。大学ラジオにもNPOラジオと同じように免許を下ろすよう、国に働きかけたらどうでしょうか。ほとんどの大学には放送部というクラブ活動があります。メディア文化学部、ジャーナリズム学科などもあります。スタジオ作って校内放送やメディアの実習に役立てている大学も数多くあります。
 アメリカではキャンパスラジオが200局あり、隆盛を極めています。いずれも本格的ラジオ局として親しまれています、私が住んでいたニューヨークでもニューヨーク大学NYU、市立大学CUNYなどが電波を出していて、一般市民が聞いています。全米の大学ラジオのヒットチャートもあります。アメリカのキャンパスミュージックベストテンCMJ200やカナダのキャンパスラジオ・トップ50は音楽業界でも権威があります。音楽の最新の流行はキャンパスラジオが頼りだと友人の音楽プロデューサーから聞きました。
 日本でもラジオ好き、メディア好きの大学生が運動を起こす必要があるでしょう。世論に訴えなければ政府は動きません。日本の大学生の奮起を期待します。
以上
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2007年02月01日

日本の国際放送を考えるその2、 拉致問題命令放送の怪、危ない言論の自由

 0702 拉致問題命令放送の怪、危ない報道の自由
 2006年11月10日、菅総務大臣はNHKの橋本会長を総務省に呼んで短波によるラジオ国際放送について「拉致問題に特に留意して放送するように」と命令放送の実施を伝えた。突然ともいえる政府の動きに、報道の自由に対する挑戦だとして波紋が広がった。同じ日、日本新聞協会は今回の命令が具体的に放送内容を指示している点は報道、放送の自由を侵す恐れがあり、重大な懸念を表明せざるを得ない。政府は報道機関に対する介入を繰り返さないよう自制を求める」という声明を発表した。まことにもってまっとうな考え方だ。
 放送法には次のような条項がある。総務大臣はこれをタテに、私にはNHKに命令する権限がある、と考えたようだ。
 第33条 総務大臣は、協会に対し、放送区域、放送事項その他の必要な事項を指定して命じることが出来る。
 また第35条には、政府が命じる放送業務は支出する予算の範囲内でなければならないという但し書きもある。
 NHKは受信料で運営されているが、ラジオ国際放送に限っては費用の一部に国費が投入されている。国際放送「ラジオ日本」の2006年度の予算は85億円だがそのうちおよそ四分の一に近い23億円が政府から出る。
 これまで次の年度の予算が確定すると、年度始めに「時事問題」、「国の重要事項」、「国際問題に関する国の見解」を放送することを政府が求めるというのが慣習であった。「放送番組は法律に基づく場合でなければ何人からも干渉され、規律されることはない」(放送第3条)という番組編集の自由を尊重するという不文律が1952年国際放送「ラジオ日本」開始以来54年にわたる伝統であったといえよう。政府が具体的な番組内容を指示、命令したことは一度もなかった。これからはそうはいかないぞと総務大臣がすごんだわけだ。
 なぜ今NHIKに放送内容を命令するなどという荒々しいことがまかり通るのだろうか。
 新しく就任し、放送を監督するという権限を手にした菅義偉総務大臣の独走、思い入れが要因のひとつにあげられるだろう。拉致問題で「特定船舶禁止法」の成立に奔走するなど安部首相にぴったり寄り添う菅氏は、NHKに命令する権限を行使することによって手柄を上げたいという強烈な政治的使命?に突き動かされ、「命令は穏当ではない」という片山虎之助参院幹事長(元総務大臣)などの反対意見を押し切った。このように特定の考え方を持つ人物が政権の中枢にいて、あれこれメディアに独断的に命令するという事態はきわめて危険である。大臣が変わればまた別の放送命令が出ることにもつながりかねない。民間放送に対しても、免許更新の際いくらでも番組に介入し、命令する先例ともなる。安部総理はメディアを押さえ込みたい、折あらば介入したいと言う性癖があるというのが、政治記者たちのほぼ一致した見方だ。
 こうした状況の中で「この際NHKは政府からの交付金を返上すべきではないか」(10月18日朝日社説)声も出ている。また自民党の中からも「放送法を改正して命令放送の項目を削除する必要がある」(塩崎官房長官の発言、11月8日)という意見があるのは、恣意的な「命令」によって放送の自由が侵害される可能性が非常に高いことを裏付ける。
 NHKは放送番組編集の自由をたてに命令をきっぱり返上すべきであった。
 総務省の官僚はこのような独特なキャラクターを持つ大臣の存在を奇貨として、放送メディアをけん制し、あわせて国際的な放送についての新たな政策展開に役立てたいという思惑を持っているものと思われる。
菅総務大臣がまだ総務省副大臣だった2006年3月、「拉致で何か動きを作りたい」と発言、それを受けて新年度のNHK予算が国会を通過したあと、総務省清水英雄政策統括官はNHK橋本会長に拉致問題を重点的に扱うよう口頭で要望した。現在総務省は新しいテレビ国際放送の検討に入っているのだが、これを政府がコントロールしたい、その前哨戦として総務省の電波行政官僚が菅大臣を活用し、命令放送に持ちこんだ、とも言われている。
11月17日に開かれた「映像国際放送検討委員会」の席上では、菅大臣の命令放送に対する批判が噴出した。委員の一人角川ホールディングスの角川歴彦氏は「国際放送は表現の自由が保障されるべきだ、国費を投入したから介入が出来るというのとは違うやり方が必要だ」と発言している。
 二年前の2004年国民保護法(いわゆる有事立法)が成立した際、NHK、民放を指定公共機関として警報、避難指示などの放送を政府の命令に従って義務付ける制度が設けられた。拉致放送の「命令」はそうした有事コントロールの一環とも見ることが出来る。本来自由であるべき報道機関にじわじわと国家による管理の波が押し寄せている。これから新しく生まれようとしているテレビ国際放送もその流れの中に組み込みたいという思惑が透けて見える。しかしそれでは日本の言論不自由を世界に告知するようなものではないだろうか。
 
 プロパガンダ放送は時代錯誤
 NHKのラジオ国際放送「ラジオ日本」は一日65時間の番組を放送している。英語と日本語による全世界共通番組のほか、22の言語による地域限定放送も行っている。その中にはもちろん朝鮮半島に向けての朝鮮語放送もある。NHKが2006年1月から10月にかけて放送した北朝鮮関連の番組はおよそ2500本、そのうち拉致問題は1000本近いと見られる。
 これらの番組がNHKの自由に取材、編集した報道番組ならいいのだが、政府の命令による国策放送だとしたら、韓国や中国などアジアではどう受け取られるだろうか。北朝鮮は別としても、核開発をめぐる六カ国協議の場で拉致に固執する日本の姿勢には批判の声もある。朝鮮を植民地支配した時代の強制連行の問題も反日の底流としてくすぶり続けていることを考えれば、「日本政府のプロパガンダ放送」としてラジオ日本の国際放送は警戒感を持って聞かれる、ということになろう。
 長年NHK国際放送が築き上げてきた日本発のニュースに対する信頼、日本文化への信頼にとってはマイナスである。
 NHKは総務大臣の命令放送について「今後とも自主自律を堅持し、自主的な編集を貫き、正確で公平かつ公正な報道を行う」というコメントを出した。しかしいっぺんのコメントで公正さへの信頼が保たれるのかどうかはなはだ疑問だ。
 受信料の義務化のための放送法改正を待ち望んでいるNHKとしては、総務大臣の「命令放送」という命令にあえて異を唱えることを避けたのではないか。それでは日本の視聴者も納得しないし、国際放送のラジオに耳を傾けるアジアの視聴者も納得しないだろう。
 プロパガンダ放送はいまやヴォイス・オブ・アメリカ、ヴォイス・オブ・コリア(北朝鮮)、ヴォイス・オブ・ロシア、ヴォイス・オブ・イランなど限られた存在になっている。影響力は細り、ほとんど相手にされない存在だといえよう。
「普通の国」では公共放送などが政府から独立して放送を行っている。局名もBBCワールド、ラジオ・コリア・インターナショナル(韓国)など国際理解、国際協調を売り物にしているのが大勢である。放送内容はVOAなど謀略電波系とは際立った違いがある。
このままではNHKのラジオ国際放送は時代錯誤のヴォイス・オブ・ジャパンになりかねない。
 
 
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2007年01月31日

 日本の国際放送を考える その1  突如浮上の国際放送強化、その実状は?

 これは2006年12月にみずのわ出版から発売された「ジャーナリズムのいま」の抜粋である

 0701 日本の国際放送を考える その1

 突如浮上の国際放送強化、その実状は?
 国際放送を充実強化すべきだという意見が、一連のNHK改革論議の途中突然浮上した。小泉首相は2006年3月1日、竹中総務大臣を呼んで「日本がどういう国なのか発信することは重要だ」と国際放送の強化を指摘、これに歩調をあわせるように麻生外相もアジア版CNNを日本から発信する必要があると発言している。竹中在り方懇談会は3月9日の会合で早速国際放送を議題にした。
東京新聞小田克也記者の証言によれば「首相の靖国参拝問題で悪化する日中関係に関し、自民党内では中国側の、日本の国民感情に対する理解が不十分である、として中国はじめアジア諸国に対する日本からの情報発信が手薄と感じていた。首相の国際放送強化発言も、その延長線上から出たものだ」(フジテレビ、AURA 178号)という。
 自民党内にはそのためなら税金を投入しても良いし、広告費の導入も認めても良いのではないかという意見さえ出ている。NHKを国家戦略に活用する考えは、推進会議や竹中在り方懇談会の論議にも強く反映して、実現の可能性に向かって一歩踏み出すこととなった。
 受信料不払いの増加でNHKの2006年の予算は2004年度に比べ5000億円の減収であることから、制作費の削減、賃金のカットなどが行われ、将来的にはチャンネルの削減、関連子会社の改廃など、2年前までの拡大路線とは打って変わった縮小路線を歩んでいるNHKである。ところがそこへ国際放送の強化拡大が飛び出したのは政治的思惑の結果だと見るしかない。国際放送はNHKに引き続きやらせるが財源はCMの導入と国費の導入だと言うのが竹中在り方懇談会の結論である。
 国際放送であるラジオジャパンは1935年に開始された。日本の対外宣伝という役割が担わされ、第二次大戦中は対米謀略電波として”活躍”し「東京ローズ」を生んだ。戦後は国際理解の重要なツールに生まれ変わった。現在22の言語で放送、世界各地に熱心な日本ファン、日本語ファンを生んでいる。日本にとって実に貴重な国際メディアだ。
 テレビは1995年からニュースを主体とした「NHKワールド」が放送されるようになり、さらにドラマなどのNHKの一般番組や一部民放の人気番組も取り入れた「ワールドプレミア」という海外向け有料衛星放送が加わった。世界各地向けの衛星放送を経由してアメリカ、アジア、ヨーロッパなど180の国と地域に送信している。「NHKワールド」はBS1のニュース、情報番組が主体で、一部の番組が英語と日本語の二ヶ国語放送になっている。受信可能世帯は7,200万世帯あるというが、2.5-6メートルの大型ディッシュアンテナと衛星デジタル・チューナーを取り付けなければ見られないので実際の視聴者はごくわずかである。実態は世界へ向けての情報発信というよりは在留邦人、日本人旅行者に対して海外でもNHKニュースが見られます、といった程度のサービスである。スクランブルはかかっていない。
 もうひとつの国際放送「ワールドプレミア」は「NHKワールド」と同じように大きなディッシュと衛星デジタル・チューナーが必要だが、こちらはスクランブルがかかっていて、月間3000円の有料放送である。海外のホテルなどでNHKが見られるのはほとんどこの「NHKプレミア」だ。NHKは100カ国150地域でプレミアムの契約者が1200万人いるとしている。
 しかし実際には短波放送による「ラジオ日本」のほうが日本の情報文化の国際発信としての実態を備えているといえよう。ラジオ放送には国から22億円の交付金が出ている。海外放送全体のNHK予算は118億5000万円(2006年度)である。

 世界各国のテレビ国際発信花盛り
 国際的な情報発信は1980年代にCNNが先鞭をつけた。湾岸戦争の際はCNNだけが戦時下のバグダッドから伝える生のニュースに世界の耳目が集まった。CNNはスタート当初から衛星放送による家庭直結配信であった強みで影響を世界へ広げた。
 遅れをとったBBCは1991年、BBCワールドを開始して信頼できる客観的なニュースソースとしての声望を高めた。BBCは公共放送であるが、受信料を使わず広告放送でまかなうBBCワールドという別組織でテレビ国際放送を行っている。これに次ぐ国際情報発信源はヨーロッパではドイツの国際放送ドイチェベレ(ドイツの波)である。公共企業体だが財源は100%国庫から支出されている。ドイツはこのほか有料で一般番組を流すジャーマンTVがあり、世界各地で視聴者を増やしている。
 最近ではカタールに足場を置く中東の衛星ニュースアルジャジーラが9.11、イラク戦争を通じて瞬く間に世界に影響力を広げた。設立当初カタール政府の援助があったが、今は各国メディアとの契約料と広告収入で自立している。
 中国はこのところ海外への情報発信を強め、CCTV(中国中央テレビ)がすべて英語の24時間ニュースを開始、影響力を強めている。フランスではシラク大統領の肝いりで2006年12月からフランス版CNNといわれる国際テレビCFII(フランス国際情報チャンネル)の放送を開始する。いまや衛星放送による国際情報競争は熾烈を極めることとなった。
 対外的な政策宣伝のために政府が直接運営する放送としてはアメリカVOA、朝鮮の声、ロシアの声などがあるがこうした局は情報機関と同一視されることが多い。アメリカは2004年2月アルジャジーラに対抗するために「アルフッラ(自由)」と名乗るアラビア語による24時間衛星ニュースチャンネルを開設した。スタジオはホワイトハウスにほど近いバージニア州にあり、中東全域に向けて衛星放送しているがアメリカのプロパガンダと見られ、信頼度は低い。
 自民党は国際放送をNHKから切り離し、民放にも出資を求めた国策機構を作りニュースや番組を発信する構想を検討しているが、国家の意向に沿った国際放送では果たしてか公正な国際メディアになりうるのかどうか疑問がある。
 自民党はラジオによる国際放送の廃止を考えているようだがこれは大きな間違いだと私は思う。アフリカ、中東、東アジア、中南米などの第三世界はいうに及ばず、アメリカ、ヨーロッパでもラジオは有用なコミュニケーション手段として多くの市民をひきつけている。短波放送、さらには衛星デジタルラジオ放送の国際的役割は大きい。ラジオを過小評価してはならないのではないか。
 日本政府の代弁者と見られるような国際放送ではなく、公正な内容を持ち、国際理解を広げるような情報発信が実現することを期待したい。NHKがその役割を担って世界の信頼を獲得することになるかどうかが問われるだろう。
 国際放送だから海外ということだけではない。日本国内にはもともと非常に大きな韓国・朝鮮のコミュニティーが存在しているのに加え、最近では移民労働者の増大などによる国際社会の拡大が進んでいる。それらの在留非日本人に対して日本と世界の情報を送り届けるという役割もある。
どのような国際放送を構築するのか、NHKがその責任を引き続き背負うのか、あるいはCNNのような国際的衛星ニュースビジネスが誕生するのか、これからの論議に待つ必要がある。

posted by sumiitakao at 22:47| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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