2006年10月25日

ワールドカップとナショナリズム 

0604特集スポーツ中継にダメだし
 ワールドカップとナショナリズム 2006年10月 隅井孝雄

7時間時差はあったが・・・・プライムタイム観戦の代償
ワールドカップサッカーの予選リーグでオーストラリアやクロアチアに善戦したが、決勝進出はならなかった。二つとも現地ドイツでは午後3時からの試合であったことから日本ではプライムタイムの包装となった。
6月18日のクロアチア戦は民放のテレビ朝日が夜9時35分から番組を組んだ。そのため視聴率も高く、日本中でテレビの画面に向けてあらん限りの声援をおくる光景が見られ、選手たちはそれに答えるかのように夏の日差しを浴びて汗にまみれて全力でゴールを目指した。敗因の一つに日本選手のスタミナ不足があげられた。陽射しが落ちた夜のゲームであったなら、という声もあった。現地のサポーターは前の日は日中でも涼しかったのに、と唇をかんだ。
日本対クロアチア戦の中継は52.7%をマークし歴代高視聴率番組29位、歴代サッカー高視聴率番組6位という記録を出した。日本中のテレビの半分以上がこの番組にチャンネルを合わせたということになる。6月12日にNHKが午後9時50分から放送した日本対オーストラリアもそれに劣らず49%であったが、午前5時の放送だった日本対ブラジルは37.2%にとどまった。勝つ可能性のある試合を日本の多くの人に見てもらいたい、という努力が、結果的に暑いさなかの試合となり、出場選手を苦しめたということもまた事実である。
オリンピックでは開会式やゲームのスタートがアメリカのプライムタイムに合わされるということは周知の事実である。ワールドカップでも94年アメリカ大会の決勝、ブラジル対イタリア戦が酷暑のロサンゼルスで日中行われた。ヨーロッパのプライムタイムに合わせたのだが、選手はへとへと。ロベル・バッジョがPKをはずしてイタリアが敗れたのは暑さのせいだといわれたものだ。
ドイツワールドカップの全世界の放送収入は15億スイスフラン、ヨーロッパ放送連合と日本でその50%以上を負担する。日本はNHK、民放、スカパーの三者で150億円、1億600万スイスフランを支払った。
FIFAは昨年12月10日、日本の2試合のキックオフを午後3時に繰り上げると発表した。真相は明らかにされていないが、「日本が繰り上げを要望した」という放送関係者の証言がある。ちなみに日本以外に2試合が午後3時のキックオフだったのはセルビア・モンテネグロとトーゴーの二カ国だけ。いずれも一次リーグで敗退した。
民放では放送がプライムタイムの時間帯であるのと深夜帯であるのとではスポンサー収入に天地の開きがある。放送権に見合う広告収入を手にするために電通にとってはプライムタイムでの放送が必須の条件になる。民放にとっても放送権と番組制作費をカバーできる広告収入がほしい。結局のところテレビ朝日が幸運のくじを引く結果となったが、電通が扱ったワールドカップ関連広告収入はテレビ広告、オフィシャルスポンサー広告(東芝、富士フィルム)などを合わせて76億円に達したというから、決勝進出がなくても商売になったと見るべきだろう。

 ワイドショーの日本コール・・・・・がんばって欲しいスポーツジャーナリズム
“サムライブルー”の活躍が大いに期待されたものの、日本代表チームは勝ち星を挙げることが出来なかった。おかげで日本のにわかサッカーファンたちは、思い思いにイギリスや、ドイツや、フランスや、イタリーを応援することになり、世界の実力を知り、レベルの高いサッカーゲームの醍醐味を知ることとなった。
 日本で巻き起きたかもしれないナショナリズムの波は日本のグループリーグ敗退で目標を失い、インターナショナリズムに転化したということになる。世界を知るという意味では良い機会となったというべきかも知れない。
グループリーグが始まる前はオーストラリアやクロアチアには勝てる、だからブラジルに負けても決勝トーナメントに行けるという希望的観測が新聞やテレビをにぎわせていた。しかし「前回は自国開催でシードされていた訳で、日本のグループには第1シードの国がいなかったんです。今回は日本が第4シードで、第1、第2、第3シードの国と戦っていたのです」(中西哲生)という現実はあまり省みられなかった。
客観的に日本の実力を見ようとした努力も随所に見られたものの、「オーストラリアには3対0で勝つ」(北沢豪)などという勇ましい発言が幅を利かせ、日本の実力を正確に捕らえ、日本代表チームの欠点や長所を分析した上で勝利の可能性を見るという論議があまりにも少なかったように私には思える。
ワイドショーでタレントなどの出席者が日本びいきでにぎやかな応援を展開するのはいいが、日本に厳しい専門家の発言は制約される。視聴者の不興を買い、どうしても慎重な言い回しとなる。時には抗議のメールに悩まされることもある。歯切れのいい解説のほうがワイドショーを盛り上げ、視聴者受けする。こうした状況の中で、ブラジル戦の直前には、何が何でもサムライ精神力で勝てという世論がエスカレートすることとなった。
日本ではスポーツジャーナリストの数が圧倒的に少ないことにも問題がある。インターネット百科のウイキペディアを検索するとスポーツライターは前述の中西哲生ほか、二ノ宮清純、玉木正之ら全部合わせても25人しか出てこない。ちなみにアメリカのWikipedia検索では361人の名が並ぶ。メディアで活躍できる優れたスポーツライターが数多く出現することを望みたい。そして本格的なスポーツジャーナリズム、とりわけサッカージャーナリズムが開花することを大いに期待したいところだ。

ドイツで”愛国心”復権・・・・・・・サッカーと国家、多様な報道
ワールドカップという舞台でドイツの愛国心が高揚した。三位決定戦で勝ったとき、ドイツではまるで優勝したようにドイツの国旗が打ち振られた。
ドイツのスポーツではヒトラーと冷戦の記憶の中で、戦後長い間おおっぴらにドイツ国旗を打ち振ることが控えられていた。しかし今回のワールドカップ開催に当たってドイツは移民排斥を叫ぶネオナチの封じ込めを始め、地道な努力を積み重ねていた。
決勝のベルリンスタジアムは1936年のベルリンオリンピックの会場であった。日本がクロアチアと戦ったニュルンベルグはナチス党大会の会場として名前がとどろいた場所だ。ユダヤ人強制移送の収容所ともなった。しかしドイツは歴史の記憶を消そうとはしなかった。ニュルンベルグではナチ時代の競技場の跡地に新しいスタジアムを建てたが、ナチ時代の座席など施設の一部を残し、街を訪れた世界各地の人びとにナチの足跡をたどるツアーなども組んだ。
1933年ヒトラーが政権についた後ドイツサッカー協会はユダヤ人を追放した。当時ドイツを代表するゴッドフリート・フスクは亡命、ユリウス・ヒルシュはアウシュビッツで命を落とした。(ニルス・ハーベルン著「ハーケンクロイツ下のサッカー」2005年)
ヒトラーは誕生したばかりのワールドカップで当時無敵だったイタリアに張り合ってドイツ代表チームが活躍することに執心したといわれている。1938年の第三回フランス大会ではその3ヶ月前に併合したオーストリーと統一チームを組んだが、一回戦でスイスに破れ目的を果たせなかった。オーストリーは出場権があったが併合のため出場を果たせず、英雄的スターだったマティアス・ジンデラーは統一チームへの参加を断った。ジンデラーはワールドカップの数ヶ月後にホテルのベッドで死亡したが、それはドイツのサッカーの暗い一断面であるとして語り継がれている。
今回のドイツワールドカップ開催に先立って2006年4月「ハーケンクロイツのもとでのサッカー」というシンポジウムが開催され、その席上ドイツサッカー協会のテオ・ツバンツィカー会長は「ナチはスタジアム建設などサッカーを保護し、多くの選手が協力した」と語り、協会の自己批判を表明した。
かつてヒットラーが侵攻した隣国、フランスやポーランドとも融和が進み、共通教科書の編集まで行われるようになった。EU推進の要としてヨーロッパ諸国の尊敬も集めるようになった。それでもなお、ホルスト・ケーラー、ドイツ大統領は決してドイツの歴史を忘れないとことあるごとに演説する。その大統領は三位が決まったあと「ドイツが陽気で自身満ちた国という印象を世界に示した」と宣言した。
ドイツ国民のわだかまりが完全に消えたわけではない。国旗と異なり国歌は戦前のものが使われている。「世界に冠たるドイツ」という歌詞は削除され、「統一と権利と自由」という新生ドイツを象徴する歌詞で歌われる。ワールドカップ開催の直前、狭小区員組合などがナチ時代の国歌を廃止して新しい国歌を作ろうと呼びかけた。政府は現在の歌詞はドイツの基本的価値をうたったものだ」と反論しており、世論もメルケル首相の見解を支持しているようだ。このような論争をドイツの新聞やテレビも積極的に報道した。
サッカーで勝ってドイツの旗を振っても、もはや過去のナチスが復活する恐れはないと世界の人々にもドイツ人にも思えるときが来たのだということが出来るだろう。
日本のテレビのニュースや報道番組でも開催地ドイツのサッカー事情が数多く放送されたが、中でもTBSの「ドイツサッカーとナチス」(5/7ニュース23)、NHK「ドイツに見るサッカーと愛国心」(7/9BS今日の世界)などはワールドカップ視聴者の視野を広げることに役立った。ジダンの「頭突き事件」もありサッカーと社会とのつながりに関連してかつてなく多様な報道がなされた。私たちはスポーツの分野でも歴史認識を深める必要があるという教訓を、ドイツや、フランスや、イタリーの動きから学ぶことが出来たということが言えるだろう。

放送おろされた韓国SBS解説者・・・愛国心VS正確な解説、実況
愛国主義的高揚が全体主義には結びつかないときっぱりといえるようになったドイツを私はうらやましいと思う。日本が打ち振る国旗「日の丸」は第二次大戦の記憶に結びつくだけに、われわれにもためらいがある。もちろん周辺諸国、とりわけ隣国である韓国や中国には強いアレルギーがある。
中国ではインターネット上で日本代表チームを応援すべきかどうかという論争があった。この論争を伝えたスポーツ紙の環球時報(6/21)は「日本がオーストラリアに負けて嬉しいと思う中国人がいるが、それは靖国や釣魚島(尖閣列島)で不満が蓄積しているからだ。しかし日本はアジアの代表として出場しているのであり、隣人を応援する気持ちを持とう、日本の試合をよく見て長所を学ぼう」と訴えている。
韓国は中国と違って自国のチームが出場していることもあり、愛国心の発露は激越であった。韓国、スイス戦のいわゆる”誤審問題”でナショナリズムが火の玉になるような現象も起きた。
6月23日のGグループ最終戦、スイスがペナルティーエリアから出したパスの受け渡しをめぐって副審が一度オフサイドを宣言、しかし主審が韓国選手の足に当たっているとして試合続行を促し、ボールは韓国ゴールに入り2対0となった。中継していたMBSテレビは選手が涙を流している画面にすかさず「サッカーは今日死んだ」と字幕を入れた。
その後ネット上には抗議が多ければ再試合をするとFIFAが発言したというウワサが駆け巡り、抗議メールの殺到に音を上げたFIFAが韓国からのアクセスを遮断するという騒ぎにまでなった。
同じ試合を中継していたSBSではサッカー解説者のシン・ムンソンはテープをスロー再生して韓国選手の足に当たっていることを確認、「オフサイドではない」と解説した。これに対しても視聴者の抗議が殺到、SBSはシン解説委員を解任、帰国させてしまった。
シン解説委員にインタービューした「ハンギョレ新聞」は「解説委員は試合のルールや状況を分析するのが仕事だ」と一部マスコミや韓国サッカー協会を批判している(7月4日)。同じ問題で記事を書いた朝鮮日報チェ・ジュファン記者は、「インターネット上では、最近シンさんの番組降板をきっかけに、盲目的な愛国主義を反省しようという動きがある」とも書いている(7月1日)。
一方6月12日韓国では日本・オーストラリア戦の視聴率が53%に達したという現象もおきた。日本の視聴率49%より高い.
「オーストラリアのゴールが決まるたびに歓声があふれた」と伝えた電子新聞「オー・マイ・ニュース」は記事の中でなぜオーストラリアの勝利が騒がれる理由は何かと自問し、「独島(竹島)を巡ってEEZ( 排他的経済水域)の再設定の会議が行われているということが理由になっているのだろうか」と暗にスポーツと政治の混同を戒める記事を掲載した。
中国や、韓国で排他的な愛国主義にブレーキがかかり始めているように私は思う。

サッカーの指向するインターナショナリズム
FIFAに加盟するサッカー協会は207の国と地域が集っている。国連加盟の192ヶ国より多い。国連に加盟していない北朝鮮、パレスチナも加盟している。台湾、香港、マカオ、タヒチ、ケーマンアイランド、バージンアイランドなどにもサッカー協会があってFIFAの一員である。よく知られるようにイングランドの応援にはイギリス国旗ではなく赤い十の字のイングランドの旗がなびく。
FIFAは今回のドイツワールドカップの最大のテーマに「人種差別にノー」を打ち出した。ピッチの中央にはすべての試合の前に差別反対を訴えるメッセージを書き込んだ大きな白いマークがおかれ、それを世界中の人が目にした。準々決勝ではジダン、ベッカムらスター選手が勢ぞろいして、差別のない世界を訴えた。「プレーを見ている全世界の皆さんにお願いがあります。社会から人種差別をなくすため声を上げましょう」とメッセージを読み上げたジダンの声も世界に届いたはずだ。その光景を見ているだけに、決勝での出来事はかえすがえすも残念なことであった。
試合期間中はヨーロッパ全土のテレビで同じようなコマーシャルメッセージが流れ続けた。移民の子であるアンリ選手らがプラカードを持ってテレビに登場する。
「フットボールが好きだ、チャレンジが好きだ、ボールをける音、観客の声援、喜びの歓声、すべてが好きだ。しかしいまだに肌の色での侮辱が続く、皆さんの声が必要です。レイシズムをなくすために、差別を見つけたら、Say No, Stand Up Speak Up」
私はワールドカップの中継やインターネットのStand Upコマーシャルを見ながらワールドカップは国を超え、人種を超えてそういう呼びかけが出来る場所として機能していることに感動を覚えていた。ほかならぬジダンがレッドカードで受けて競技場を去ったことは衝撃的である。
ジダンの事件が今後の人種差別、排外主義の歯止めとして作用することを期待したい。

この記事は「Gallac」(放送批評懇談会)2006年10月号に掲載された
posted by sumiitakao at 14:31| Comment(0) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今度はNHKの分割、民営化が標的?       竹中放送、通信あり方懇最終報告書をめぐって

 0603 今度はNHKの分割、民営化が標的?
      竹中放送、通信あり方懇最終報告書をめぐって

竹中総務大臣の私的懇談会である「放送や通信のあり方に関する懇談会」が6月6日、最終報告書を発表した。
 金融改革、道路公団民営化、郵政民営化など一連の小泉改革の尖兵として次々に成功を勝ち得た竹中氏が、この次の標的を放送、通信の融合に絞って、ポスト小泉政策展開の第一歩として位置づけたものと見られる。
しかしNTTの持ち株会社廃止の検討に入ること、マスメディア集中排除原則を緩和することなどを決めた以外、”融合”の面では目新しいものはない。その代わり昨年来の一連の不祥事をきっかけにして、受信料不払いが急激に増加しているNHKについは、チャンスとばかりに抜本的な改革の方向を打ち出した。
今回の早急、唐突とも見えるNHK改革案は自民党の”抵抗”が予想されると同時に、国民、視聴者の支持を得ることが難しいと思われる。竹中総務大臣の思惑通り、強行突破によるNHKの抜本的”改革”が実現するだろうか。NHKの再編成は日本文化や言論、表現の自由にかかわる問題である。竹中総務相はソフトパワーを日本経済の新たな原動力としようというが、手に余り問題を抱え込むことになりはしないだろうか。

チャンネル削減? 見ていた人はどうなる

竹中懇談会のNHK改革の目玉はチャンネル数の削減である。
竹中懇談会の座長である松原聡氏はもともと「NHKの持っているチャンネルは公共放送としては多すぎる」という意見の持ち主であった。懇談会では現在3波ある衛星放送を1波にするほかラジオ第二放送とFM放送も削減の対象にしていたが、最終報告書ではラジオ第二の削減が見送られた。FM放送の中止は「多彩な音楽番組を提供するという公共放送の役割は終わった」という理由付けをしている。改革理由に公共性の大安売りという感が強い。
NHKは「放送が文化であるという視点が大切で、単純にチャンネルを削減して放送サービスの低下を招くことは反対だ。多様で良質な番組と社会生活に不可欠な情報と届けることにNHKの役割がある」という見解を発表して、正面から削減反対を打ち出した。
NHKの言い分に単純に同調するわけではないが、NHKのBS放送は最近人気が高まっていることも事実である。契約世帯は伸び続け1250万件に達している。地上波とは一味違った大型番組編成が好調で、NHKの財源としても無視できない存在となった。削減によってBSを愛好している視聴者をおきざりにしてしまうことになる。

 朝ドラ、紅白は公共性がない? 娯楽、芸能部門の分離

同じことは竹中懇談会が打ち出した「娯楽番組、ドラマなどNHKからの分離」についても言える。松原座長はかつて「紅白歌合戦には公共性はない」と発言している。しかし依然として日本国民の半数近くがこの番組を見ているという事実から目をそむけるわけにはいかないだろ。娯楽切り離し、別会社による放送は、NHKのスクランブル化、CM導入に道を開く。NHKを二つに割って、ひとつを有料放送にする、あるいは広告放送に変えるという、現行の放送秩序をひっくり返す大問題についての論議はまったくなされていない。大胆な発想だが無謀な改革手法と言えるのではないか。
竹中懇談会の報告書のうちチャンネル削減や制作分割案には自民党は反対しているため6月末に交わされた竹中懇談会と自民党の合意文では「チャンネルの有効活用のため詰めた検討を行う」などとうやむやのままであり、受信料の義務化の行く末も定まっていない。
竹中総務相は骨太方針の中にNHK改革を盛り込むというが、ポスト小泉の骨太改革は通信放送に関する限りどうやら骨抜きとなる雲行きである。

国際放送の強化? どうする財源
竹中懇談会に突然国際放送強化という項目が盛り込まれた。今年3月小泉首相が「日本がどういう国かを発信することは重要だ」と発言して、竹中総務相に海外向け放送の強化を指示したことからにわか仕立てで始まったものだ。
国際放送であるラジオジャパンの開始は1935年。第二次大戦中は対米謀略電波として”活躍”した。現在は22の言語で放送、貴重な国際理解のツールになっている。
テレビは1995年からニュースを主体とした「NHKワールド」が世界各地で衛星から流れるようになり、ドラマなど一般番組を含めた「NHKプレミア」という有料衛星放送も加わった。海外の一流ホテルで視聴できるほか、各地の衛星やケーブルでも見られる。現状では海外在留の日本人や旅行者が対象である。しかし大型ディッシュや衛星チューナの設置が必要であるため、視聴者は限られる。CNNやBBCワールドのように世界へ向けての情報発信として国際的な認知を得るにはいたっていない。
NHKはワールドTVに28億円の予算を投じているが、BBCワールドはその3倍以上の95億円を使っている。国際放送には自民党も大乗り気で、国費投入もOK、子会社を設立し、民間の出資を積極的にうけいれるよう、というのが竹中懇と自民党の合意文に書き込まれた。
国際的な情報発信はCNNが1980年代に先鞭をつけた。湾岸戦争の際はCNNがバグダッドから伝える生のニュースに世界の耳目が集まった。遅れをとったBBCは1991年にBBCワールドを開始、その後テレビによる国際放送のマーケットには、中東のアルジャジーラ、ドイツのジャーマンテレビ、韓国のアリランテレビ、中国のCCTVが参入、さらに今年末からフランス情報チャンネルが加わる。
火花を散らしている国際的な情報発信の中ですっかり孤立した感のある日本。私もこの点では小泉首相の提案に賛成したい。しかし受信料の投入はどこまで許されるのか、国の財源を使うことによってひも付きにならないか、民間の資金は果たして集まるのか・・・。財源の手当てはさだかではない。丸ごと国がまかなう中国は別として、公共メディアでありながら有料放送システムや広告を併用するBBCなどの国際放送のビジネスモデルはさまざまである。
日本政府の代弁者と見られるような国際放送ではなく、公正な内容を持ち、国際理解を広げるような情報発信が実現することを期待したい。NHKがその役割を担って世界の信頼を獲得することになるかどうかが問われるだろう。
 
この記事は月刊「力の意思」2006年8月号日本の針路のコラムとして掲載された
posted by sumiitakao at 14:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ワールドスポーツ、熱狂の影で

 ワールドスポーツ、熱狂の影で
 隅井孝雄 5/26/2006

 今年3月21日放送されたWBCキューバ対日本の決勝戦は視聴率43.4%(関東地区)に達した。優勝の決まった瞬間午後2時58分の瞬間最高視聴率56%は、日本中が熱狂したことを如実に示している。正確な統計数字ではないが視聴率50%台超えるということはおよそ5千数百万人の日本人がWBCを見ていたことになる。
 スポーツの最大のワールドイベントはサッカーワールドカップとオリンピックだ。それに加えてワールド・ベースボール・クラシック(WBC)という国際スポーツもまたビッグイベントに仲間入りしたと言えよう。
 
 日韓W杯の二倍の放送権料、全試合BS放送するNHKの思惑
 この雑誌を読者が目にする頃、ジーコジャパンが一次リーグを勝ちぬいていれば、日本は再び熱狂の渦に巻き込まれる。2002年のワールドカップでの日本対ロシア戦(視聴率66%) の再来があるかもしれない。そうならないまでも、普段のサッカーファンの枠を大幅に超えた人々が深夜のワールドカップにチャンネルを合わせドイツからの衛星中継を熱心に見入っているに違いない。
 サッカーのテレビ視聴者数は巨大である。アメリカ大会は321億人、フランス大会は370億人、日韓大会は時差の影響で288億人にとどまったが、ドイツ大会は再び300億人を越えるものと見られる。
今回のサッカーワールドカップドイツ大会の中継のため日本が負担した放送権料は推定138億円である。2002年のワールドカップの際は衛星放送のスカパーが気前よく134億円出して全試合を衛星に乗せたという特殊事情があったが、NHK、民放の地上局の負担は66億円だった。その意味では今回のドイツ大会は、前回の二倍も払う。7時間の時差ですべての試合が真夜中か明け方というハンディがあるのにもかかわらずだ。
 高騰の原因は契約を結んだ頃、巨大化膨張路線を歩んでいた海老沢NHKにもある。NHKが気前よく53億円負担、地上波の20試合の放送に加えて衛星第一とハイビジョンで全試合を放送することを計画したからだ。
NHKのBS受信料は地上波契約より月間1000円ほど高い上に、目に付くディッシュアンテナを設置するので集金しやすい。つまりNHKにとってBS契約は金の卵ということになる。受信料の不払いによる減収に何とか歯止めを加えたいNHKがワールドカップにかける思いは切実である。スカパーは今回も全試合無料報道だが、NHKのおかげで影が薄い。

 日本国内の経済効果4700億円、FIFAは巨大なビジネスマシン
電通の試算によるとドイツ大会の日本国内の経済効果は4,760億円、ベスト4にまで進出すれば5460億円に跳ね上がるだろうとも計算している。
観戦の「弾丸ツアー」(日本対ブラジル)0泊2日は24万8,000円もするのに3,200件を超える申し込みが殺到するなどという現象がおきている。
しかしなんといっても日本国内で中心になるのは薄型大型テレビだ。ダブルベッドほどもある103インチも売り出された。大型デジタルを快適にみるためのソファーが売れ、照明、音響、壁の張替え、備え付けの棚など部屋のレイアウトを一新する人も多い。リフォームでざっと100万円から300万円かかる。テレビを買う人はデジタルDVDを一緒に購入する傾向もあり、メーカーにとってはこらえられないプリボーナス商戦となった。
イギリスの調査会社は今回のワールドカップでケイタイ関連にもたらす収益は全世界で63億5000万ドル(約7000億円)に上ると試算した。試合の模様をケイタイテレビで放送するなど新サービスに加え、ワールドカップに関連した着メロ、壁紙ダウンロードなどの収益性が高いという。この機会に新しい第三世代のケイタイへの買い替えも期待される。
開催国のドイツは今回のワールドカップを不況から抜け出すチャンスだとみている。ドイツ郵政公社の試算だと経済波及効果は100億ユーロ(約1兆4300億円)、経済活性化の切り札となる。
ヨーロッパ各地からの鉄道が乗り入れるベルリンではヨーロッパ最大の中央駅が完成した。開催期間中およそ300万人(日本からは2万人と推定)が海外から訪れる。
最大の収入源であるテレビ放映権は日韓大会をはるかに上回る15億フラン(10.2億ユーロ、約1400億円)になった。延べ視聴者300億人という世界最大のスポーツイベントがテレビによって全収入の60%以上を稼ぎ出す構造が定着したと見られる。ドイツ大会の公式スポンサーは15社。一社当たり3400万ユーロ(約50億円)前後の契約料は合わせて5億ユーロ、730億円になる。スポンサーへわたったチケットは50万枚。関係者や各国国内委員会にも配分されるので一般販売は全体の3分の1程度、111万2000枚しかない。

放送権でオリンピック牛耳る米、北京は巨大広告イベントのチャンス
2008年に北京オリンピックが開かれる。中国政府は民間企業と協力し、外貨の獲得という課題の実現を図っている。こうした中国政府の方針を背景に、広告産業が大きなチャンスとして沸いている。
天安門東西4キロには厳しい広告規制が敷かれている北京でも、オリンピック広告看板は別格のように立ち並び、バスにも車体の外といわず内といわず広告を満載した6000台が縦横に走っている。1700億ドルにものぼると言う開催費用が予算化されているが、テロ対策費が大幅に増えたため。組織委員会としては広告費で補うことがどうしても必要なのだ。
ソルトレークとアテネオリンピックに投じられた開催費用は37億ドル、そのうちの52%が放送権収入であり、32%が公式スポンサーによるものであった。特に目立つのはアメリカのテレビ局NBCが支出した放送権13億ドルだった。
北京の放送権もアメリカが8億9000万ドル出す。(日本1億8000万ドル、ヨーロッパ4億4300万ドル)。そしてNBCは早くも2010年バンクーバーと20012年ロンドンの放送権を一括して22億ドルで買った。NBCはオリンピックの競技日程をアメリカでの放送時間に合わせたものにするなど大きな力を持ちオリンピックを支配している。

オリンピックのテレビ視聴者は減少、インターネット伸びる。
トリノの冬のオリンピックではアメリカでは視聴率が激減した。フィギャースケートのホープ、ミッシェル・クワンの欠場、アルペンスキーのボード・ミラーの不振などあってヒーローが不在がたたりテレビの視聴者は一日平均2020万人に止まった。二年前のソルトレーク五輪が一日平均3190万人の視聴者だったことと比べると目減りは劇的である。史上最低の視聴率(平均12.2%)という惨めな記録だった。オリンピックでヒーローの存在は不可欠なのだ。
その一方オリンピックならではの不思議な現象もトリノには残った。アメリカのテレビ局NBCは、トリノ五輪の総経費の40%、6億ドル以上を負担したのだが、視聴率が悪くてもテレビCMの売れ行きが好調で9億ドルを稼ぎ出した。今後もテレビ局が札束に糸目をつけない状況は続く。
トリノ五輪はインターネット放送元年でもあった。アメリカNBC、イギリスBBCが開設した競技のストリーム映像サイトは始めて巨大なアクセスを実現しした。アメリカでは期間中実に3億6100万ページビュー、910万ビデオストリームを記録した。ウエッブ上で12万5000時間分のビデオが視聴されたというデーターもある。
世界は今ブロードバンドの拡大、インターネットと放送映像の融合の真っ只中にある。果たして今回のドイツワールドカップではどのようなインターネットによるアクセス記録が出るのであろうか。


1. W杯ドイツ大会スポンサー一覧
アディダス ドイツテレコム マスターカード
バドワイザー エミレイト航空 マクドナルド
アバイア(IP電話) 富士フィルム フィリップス
コカコーラ ジレット 東芝
コンチネンタル(自動車タイヤ) 現代自動車 YAHOO

2. FIFAの収支配分 2003-2006
収入 17億ユーロ(2440億円)
テレビ放送権料 60% e10.2億
スポンサー契約料 30% e5.1億
商品化権、入場料など10% e1.7億
支出
ワールドカップ経費 40% e6.8億
各種大会開催費 10% e1.7億
運営費      25% e4.25億
ゴールプロジェクト 25% e4.25億
注 ゴールプロジェクトとは後進国でのサッカー振興の援助プログラム。

3. 北京オリンピック国際スポンサーTOP
1.Coca Cola 清涼飲料
2.Atos Origin IT   
3.GE エネルギー、機械製造
4.Kodak カメラ、フィルム
5.Ienovo IT機器
6.Manylife 生命保険
7.McDonald’s ファーストフード
8. Omega 時計
9.Panasonic オーディオ/TV機器
10.Samsung ワイヤレスコミュニケーション
11Viza. クレジットカード

4. 北京オリンピック国内スポンサー
1.中国銀行
2.中国ネットワークコミュニケーション
3.中国石化 石油化学
4.中国移動通信 携帯電話
5.フォルクスワーゲン 自動車
6.アディダス スポーツ用品
7.エアーチャイナ 航空機







この記事は月刊「力の意思」2006年7月号に掲載された



5. オリンピックの収入2001-2004  IOCホームページより
項目 金額 比率
テレビ放送権 22億3600万ドル 52%
(アメリカのテレビ放送権) (13億4800万ドル) (33%)
スポンサー 13億3900万ドル 32%
ライセンシング 8100万ドル 2%
入場料収入 6億800万ドル 14%
合計 37億2400万ドル 100%


posted by sumiitakao at 14:15| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アンカーズアウェイ・・・・変革の中にあるアメリカのテレビジャーナリズム

アンカーズアウェイ
変革の中にあるアメリカのテレビジャーナリズム


 1980年代初頭からほぼ4分の1世紀にわたってアメリカのテレビジャーナリズムをリードしてきた三大ネットワークアンカーがここ一年の間に次々にテレビを去った。NBCトム・ブロコウ(2004年12月)、CBSダン・ラザー(2005年3月)、ABCピーター・ジェニングス(2005年8月)、そしてABCテッド・コッペル(2005年11月)である。時代を画した彼らを送るため、新聞各紙にはAnchors Awayという文字が躍った。一斉の世代交代の後のアメリカのテレビニュースの進路は霧の中である。
ネットワークニュースの視聴率、視聴者数は80年初頭の12-15%、1500万人からこの20年間じわじわ低落し現在では7-10%となった。それに加えてCNN、Foxなど24時間ケーブルニュースが力を増し、インターネットメディア、ブロッグの台頭しつつある状況の下でのテレビニュースは否応なしに新旧交代の時代にさしかかっていたともいえよう。

四人のアンカー達の4分の1世紀
(ピーター・ジェニングス)
悲劇は突然やってきた。2005年4月5日いつものように始まった夕方のネットワークニュースの最後にピーターは自分が肺ガンであることを語り、治療のためにしばらく番組を休むと告げた。20年間の禁煙後9.11以降再び喫煙するようになったことも告白して視聴者を驚かせた。彼はしかし番組に復帰するとはなかった。8月7日ABCニュースは彼の訃報を伝えた。
彼がABCニュースのアンカーの地位についたのは1983年であった。CBS、NBCの後塵を拝してきた二流ABCニュースを、他のネットワークと互角に勝負できるよう盛り上げた功績は大きい。カナダCBCでニュースレポーターをしていたピーターは20歳のときABCニュースにスカウトされた。そして26歳の時当時15分しかなかったABCニュースのアンカーに抜擢された。ABCにとってもピーターにとってもこれはギャンブルであった。ハンサムボーイの未経験者、そしてアメリカ人の嫌うカナダアクセントは視聴者にそっぽを向かれた。自らアンカーを降り、彼はインド、レバノンなど、アジア、中東などからレポートを送る海外特派員に転じた。これが後半生彼の大成に大いに貢献することとなる。1972年ミュンヘンオリンピックに報道記者として特派され、イスラエル選手団人質、殺害事件のレポートで脚光を浴び、1978年ニューヨークに呼び戻された。
9.11では一週間にわたってノンストップで放送を続けた。中東取材の長い経験は彼の報道に厚みを持たせるものであった。危機にあるアメリカで大統領の資質が問われていると考え、ブッシュ政権の対テロ政策、イラク戦争への戦略を検証することに力を注いだ。しかしABCのこうした報道姿勢は保守派の標的となり、「彼をやめさせるべきだ」と主張する脅迫まがいのサイトも立ち上げられるほどであった。視聴率も下がり、好戦的報道を売り物にするケーブルニュースFoxにも遅れをとった。しかしイラク戦争の混迷からの脱却を図るアメリカの世論の支持が次第に集まり、2004年秋以降ABCニュースは急速に上向いていた。ライバルの二人が去った後、ABCピーター・ジェニングスはネットワークニュースのトップランナーとして地位か約束されていたのだったが・・・・。
NHKアメリカ総局長の藤沢英敏キャスターとの対話の中で「ジャーナリズムの仕事は世論を動かすことではない、権力を持たない一般市民の代わり見張り役となって政府に疑問をぶつけること、事実を伝えることが大切だ」と語っている。この言葉に彼の報道姿勢がうかがえる。
(トム・ブロコウ)
トム・ブロコウは1983年NBCのアンカーの地位を獲得した。先輩アンカーとしてテレビ報道の今を築いたジョン・チャンセラーの後継であった。
サウスダコタ出身の彼は若い頃からテレビにあこがれ、地元の局でのアナウンサーやレポーターのアルバイトから身を起こし、1966年念願かなってNBCに入社した。ベトナム戦争の只中、アメリカの分裂と混迷の中でキャリアーを積んだ。
彼は政権を激しく批判することはなかったが、政権寄りになったこともない。世論がイラクへの報復を叫んでいるとき、世論に逆らうのではなく、正確なニュースを視聴者に送り届けることを心がけた。ソフトな語り口での客観報道に終始し、視聴者を捕らえた。彼が就任したときは最下位であった視聴率は、退任時は不動の一位であった。
「私が心がけたのはただひとつ、真実を正しく伝えることであった」(I had only one objective--to get it right)という言葉が退任の日の番組のエンディングを飾った。
ブロコウを見ているとアメリカがわかる。
(ダン・ラザー)
CBSダン・ラザーはあらゆる意味でトムブロコウと対照的なアンカーであった。彼のキャリアーはライバルの二人より早く、50年代の公民権運動取材から始まっている。ケネディの死去を誰よりも早く伝えたのはダン・ラザーであった。アフガニスタンやベトナムの戦場の真っ只中からレポートを敢行して名をはせた。
1981年、テレビに君臨したウオルター・クロンカイトを引き継いでアンカーの座に着いた。その後も事件は続く。スポーツ中継が延長してニュースに食い込んだことに反発、アンカー席を立ち放送に穴を開けた。先代のブッシュ大統領とは生放送で激しい口論を繰り広げた。イラク戦争開始の報道では、「私はアメリカ国民としてこの戦争を支持する」と涙を浮かべて視聴者を驚かせた。ブッシュ大統領が若い頃予備兵として特別待遇を受けたという特ダネを報道し、ブッシュ政権と対立。しかし証拠となった文書が捏造だとわかりニュースの中で「I am sorry」 と謝罪、結局この失策が引き金となって引退に至った。
(テッド・コッペル)
42年にわたってABCに在籍し、25年間ナイトラインのアンカーを勤めたテッド・コッペルも2005年12月ABCを離れた。1980年から始まったナイトラインはイラクのアメリカ大使館の占拠、人質事件を連夜放送するために生まれたニュース番組である。テッド・コッペルはこの番組を拠点に、ニュース報道の新境地を開いた。番組の特徴は全米、全世界あらゆるところから中継し、直接当事者にインタビューするところにある。
イラク戦争では果敢にも第三歩兵隊に従軍取材、砲弾をかいくぐってレポートした。アメリカのネットワークがアルジャジーラの配信した米兵捕虜や遺体の映像を放送しなかったことを知ると、戦場からの生中継の中で、自社の姿勢を批判した。「戦場ではイラクの若者もアメリカの若者も命を落としている、この現実から目をそらすのは間違っている。報道の役割は戦争がいかに残酷かを伝えることにある」と喝破、ネットワークが放送を控えていた映像を再開するきっかけを作った。
 
 先駆者エド・マロー、屹立するウオルター・クロンカイト
 アメリカのニュースアンカーたちの伝統を最初に切り開いたのはテレビ報道の先達、CBSエド・マローである。第二次大戦が終わってテレビ放送が再開された頃、テレビはコマーシャルを満載した娯楽の箱と思われていた。それがラジオから移ってきたマローボーイズという一団によって大きく変えられることになった。
 エド・マローは第二次大戦中CBSのロンドン特派員として活躍した。空爆下のロンドンからのラジオレポートは臨場感あふれるものであった。「アメリカの世論をヒットラーとの戦いに導いた」と言われている。
 彼はそれまでアナウンサーが読み上げていたニュースを、レポーターが自ら取材して放送する方式に変え、多くの若いレポーターを育て上げた。それがマローボーイズである。
 テレビに移ったエド・マローはテレビ初の本格的報道番組「シー・イット・ナウ」をスタートさせ、アメリカ中、世界中にカメラとレポーターを送った。彼の最初の関心はアメリカのおける人種差別、南アフリカでのアパルトヘイトだった。核兵器問題、朝鮮戦争、キューバ問題と取材範囲は広がり、そしてゆきついたのがマッカーシズムであった。一年間に及ぶ入念な準備の後マッカーシーの恐怖に正面から挑み、マッカーシー上院議員は辞任に追い込まれた。
 CBSのイメージは大きく向上したが番組のスポンサーが降り、代わりのスポンサーはつかなかった。当時のスポンサーはアイラブルーシーのような大衆受けする娯楽番組やクイズに大金をはたく方を選んだのだった。
 「シー・イット・ナウ」の後、マローは娯楽的要素の強いマガジン番組をまかされ、有名人、俳優などとのインタビューをこなしたが、やがて失望してケネディ政権の報道官となり、二度とテレビに戻ることはなかった。
 エド・マローの苦い経験にもかかわらず、テレビは大きな政治的影響力を発揮するようになった。1960年のケネディとニクソンのテレビ討論がそれを立証した。そうしたなかでベテラン記者であったウオルター・クロンカイトがCBSニュースのアンカーに起用された。今から思えば「ライトパーソン、ライトタイム」(ぴったりの人物がもっともぴったりした時期にはまった)というわけである。
 クロンカイトはUPI通信の記者として第二次大戦中従軍記者となった。戦争が終わってアメリカに戻るとエド・マローから声がかかりCBSニュースに入った。1962年ニュースアンカーとなり、アメリカのネットワークで独占的な地位を築いた。国民の信頼度は大統領を上回るものだったといわれている。そしてアポロの月面着陸の実況中継では世界中の人々をテレビに釘付けにした。
 引退した1981年、日本のテレビ局の取材に答えたクロンカイトは彼の報道姿勢について次のように答えている。「報道マンは社会や政治を変えるというような責任を持つべきではない。われわれの責任は事実を伝え判断は人々に任せるということだ」。
 しかしクロンカイトは生涯一回だけその影響力を行使したことがある。それはベトナム戦争の時だった。
 1968年2月ベトナムを訪れ、自分の目で見たレポートを放送、次の言葉で締めくくった。「泥沼から出るための理性ある方法とは民主主義を守ったものとして交渉することです」。この後北爆は停止されパリ和平会談が始まった。この番組を見たジョンソン大統領は「クロンカイトを失ったということは世論を失ったということだ」:とつぶやき再選を断念した。

 模索するアメリカのテレビジャーナリズム
 事実に即した客観的、分析的報道というアメリカのテレビジャーナリズムの伝統は今ゆらいでいる。イラク戦争では愛国主義を掲げアメリカ軍と一体になった報道を展開したケーブルニュースFoxが視聴者の支持を受けて躍進した。トークラジオやブログでは、保守主義を標榜し、政権に対する批判を封殺する言論が有力である。そのような傾向がアメリカ全体を戦争に駆り立てた。
 ネットワークニュースの特質のひとつに何が重要なのか、何が問題の焦点かを提示する機能があるといわれてきた。いわゆるアジェンダ設定機能である。
テレビネットワークは一日30分(CMをのぞくと実質20分)という限られた時間のニュース報道に全力を投入している。今日のアメリカ、今日の世界を凝縮して捉え、何が大切な問題なのかを示すという機能を果たしてきたと私は思う。
しかしケーブルの24時間ニュースや、インターネット上のニュースは、無限にとりとめもなく流れるニュースの洪水のなかに人々を放り出す。しかもそのほとんどがヘッドラインのスタイルであり、とことん事実を追いかけ、ニュースを掘り下げていくものではない。
新しいメディア秩序の中でアメリカの第三世代アンカーたちが、ピーター・ジェニングス達の残した遺産をどう受け継ぎ、どう活路を切り開くのか行く先はまだ見えていない。


CBSニュース
1962-81 ウオルター・クロンカイト 1981-2005 ダン・ラザー
(93-95コニー・チャン加わる) 2005-2006 ボブ・シーファー
2006.9 ケイティー・クーリック
NBCニュース
1970-82 ジョン・チャンセラー(76-79デイヴィッド・ブリンクリー加わる)1982-2004 トム・ブロコウ (82-83ロジャー・マッド加わる)
2004 ブライアン・ウイリアムス
ABCニュース
1969-78 ハワードスミス、フランク・レイノルズ、ハリーリーズナー、バーバラ・ウォルターズらの組み合わせ続く
1978-83ハリー・レイノルズ、マックス・ロビンソン、ピーター・ジェニングス1983-2005 ピーター・ジェニングス
2005 エリザベス・バーゲン、ボブ・ウッドロフ(入院中)
2006 チャールス・ギブソン
ABCナイトライン
1980-2005 テッド・コッペル 2005 テリー・モラン、シンシア・マクファデン、マーティン・バシアー

この原稿はGallac(放送批評懇談会)2006年6月号に掲載された
posted by sumiitakao at 13:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。